また、有償撤廃しただけでは利払いという財政負担が残るため、それを資本に転換しようとした。比較的多額の公債をもらった藩主層にはそれを出資させて国立銀行株主とし、中下層士族には大久保利通が士族授産政策を実施した。

 内務卿・大久保の思いはただひとつ、国の安定です。外には列強諸国が虎視眈々(こしたんたん)。内には徳川の残党がいる。いつ日本が転覆させられるかわからない中で、士族の反乱が一番嫌だった。大久保は徹底的に士族反乱を弾圧しましたが、一方で彼らを浪人にしておくことが一番危険だと認識していた。授産事業で生業を与え、サムライたちを産業振興の担い手にしようとしたのです。

 これまた素晴らしいのは、士族授産金の担保として公債を出資させたことです。身分を資本に変えただけじゃなくて、サムライたちを企業家に変えたわけです。例えば、小野田セメントを設立した萩藩下級士族の笠井順八は、日本ではまだきわめて新しい概念だった株式会社形態を採用し、元本保全に気を配った公債出資という制度設計をしました。

 われわれが教科書で学んだ「士族の商法」とは、旧士族は威張ってばかりで商売が下手だから失敗したというものでした。しかし、サムライたちの多くは欧米からの先端産業の移植に挑んだわけです。

 この国をどうやって創るか、みんな必死だった。明治の人たちはそこまで考えていたのに、今は政治家にも官僚にも創造性がまったくない。ナショナリスティックな意味で明治維新を礼賛したいわけじゃない。ただ、明治の人たちはとてもクリエイティブだったということを言いたいのです。(構成/編集部・小柳暁子)

AERA 2018年3月12日号