斎藤:親子関係のとらえ方は、男女の差がもっとも際立つのかもしれません。そもそも儒教文化圏の家族主義はジェンダーギャップが激しくなる構造にある。中国は発展途上国なので共稼ぎせざるをえず、夫と妻、父親と母親の役割分担ができない面もありますが、日本や韓国はなまじ豊かなために役割分担が固定されてしまった。団塊母はその被害者であり、娘はさらにその被害者と言えるでしょう。

信田:ただ、母親たちの当事者意識は薄い。私の本を読んだ団塊母たちは「こういう人いるわよね、こういうこともあるわよね」と完全に他人事。自分が加害者であることを認めたくない。そこが母娘問題の根深いところでもあるんですが。

斎藤:母と娘。共存する道はあるのでしょうか?

信田:はっきり言って共存を喜ぶのは母親だけです。近づくことがしんどいならば、娘の側からは断絶するぐらいの気持ちで対峙したほうがいい。スター・ウォーズじゃないけれど、目には見えないシールドを張り、必要以上に近づかない、近づかせない。夫や恋人など、苦しさを理解して防波堤になってくれる人がいるならば頼る。さらにつらいならば、専門家のカウンセリングを受けたり、同じ悩みを持つ仲間と気持ちを共有したり。何かしら「第三者の目」が介在することで母親と上手に距離が取れることもある。結果として見れば、それが「共存」という形になるのではと思ってます。

(ライター・中津海麻子)

AERA 2018年2月5日号