各店の閉店理由も明快だ。いかに繁盛店でも、経営者が高齢となり、しかも後継者も不在なら、存続は不可能。子どもはいても、進学を機に東京へ出て、そのまま定着してしまう。あるいは肉体的にハードなわりに、収入面であまり報われない飲食業に背を向けてしまう。チェーン店の台頭も、重くのしかかる。

 だが、絶メシの究極の目標は観光客誘致でも町おこしでもなく、後継者の育成だ。昭和期に隆盛した大衆中華や洋食の高度な技術が保たれているのも、実は高崎のような地方都市に多い。ことに古くから商業の町である高崎は東京にも近いせいか、人知れず、そうした技術を誇る店が多いのだ。

 現在、この「絶メシリスト」には27軒が参加(うち1軒はすでに閉店)。サイト中で後継者も募集する香珍の主人、善養寺静雄さんも最初は東京、次に横浜で修業をし、故郷に戻って店を開いておよそ50年になる。

「ともかく技術を身につけたくて、評判を聞きつけると働く店を変えたんです。中国出身の師匠と出会い、彼について、また何軒か移り、麺打ちや餃子の皮作りもすべて直伝で教わった」

 74歳になっても壮健そのものの善養寺さんだが、一代で築き上げた人気店の存続自体にさほど執着はない。ただ、「自分が身につけてきた技は誰かに伝えておきたい」という。

「一から手作りで、しんどいわりに儲けは少ない。だが、やる気がある人がいたら、手取り足取りで全部教えます。看板も変えてもらって差し支えない」(善養寺さん)

 絶メシリストにはこうした秘伝のレシピを惜しげもなく公開する店も登場している。高崎経済大学のそばで、定食類をほぼ600円という破格値で提供するからさき食堂もそのうちの一軒だ。看板メニューの「白い恋人」という、ホワイトソースがたっぷりかかったオムライスの作り方を披露するが、2代目店主の大山瑞枝さん曰く、「まだ新しいメニュー」とのこと。

 同大経済学部1年の岡野有さんは月2、3回は店を訪れ、決まってカツ丼大盛りを食べる。

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