台湾では現地料理界の第一人者、洪銀龍(ホンインロン)氏に師事した。ある朝、5時に集合をかけられ、調理道具と食材が満載のトラックで、山に連れて行かれることがあった。何が始まるのかと思ったら、お寺の法事で500人に精進料理をふるまう会。その料理が、まさしく素食だった。

 台湾では法事の席に限らず、「卍」のシンボルとともに、町中いたるところに素食の看板があった。

「スーパーに行くと、素食用のハム、鴨、カニなど、へえと思うような食材が普通に売られています。高級レストランから、日常使いのカフェ、学生のセルフ食堂にいたるまで、あらゆるスタイルがあり、その光景にびっくり。こんな面白い料理がすぐ隣の国にある、とすっかりハマってしまいました」(同)

 素食はそのルーツを、春秋戦国時代(紀元前8世紀から同3世紀)にまでたどれるという。

 大陸の農村部に太古から根付いていた菜食の習慣は、紀元前後にインドから仏教が伝来したことで、不殺生の思想と結び付き、本格的に発達。清朝末期には景勝地、西湖のほとりに素食レストランが軒を連ねる眺めがあったと伝えられている。

 台湾は現在、観光とグルメの2本柱で、日本人旅行者にとっても人気の場所だが、大陸から伝播した素食が、とりわけ多様に発展したのが、この地だった。

「文化大革命を逃れた、という歴史的な事情もありますが、それ以前に、台湾の人たちは好奇心が旺盛で、グルメや健康マニアが多い。大陸から伝わった日本の精進料理を、さらに逆輸入して素食メニューに加える例もたくさんあります」(同)

「素食」というキーワードがたぐり寄せる、アジア悠久の時間と文化交流の軌跡。台湾行きを繰り返す中で、松永さんは研究にのめり込んでいった。(ジャーナリスト・清野由美)

AERA 2018年1月15日号より抜粋