エンゼルスタジアムで入団会見をする大谷。ユニホームの袖に腕を通し、うれしそうな表情を浮かべた (c)朝日新聞社
エンゼルスタジアムで入団会見をする大谷。ユニホームの袖に腕を通し、うれしそうな表情を浮かべた (c)朝日新聞社

 大統領候補の演説を聴いているようだった。ポスティング移籍により、ロサンゼルス・エンゼルスの入団会見(12月9日)に臨んだ大谷翔平のことだ。

「ハイ! マイネームイズ、ショウヘイ・オオタニ」

 爽快な自己紹介から始まったスピーチでは、まず球団オーナーや監督、新天地となるエンゼルスタジアムに集まったファンに感謝の言葉を綴った。時折、珍しくジョークを口にしながら、「和製ベーブ・ルース」という前評判に関して質問が飛べば、

「僕の中では神様と同じぐらいの存在。野球をやっている以上は少しずつ近づいていきたい」

 と満点回答して、アナハイムのファンの心をわし掴みにした。

 思い返せば、5年前(2012年)の秋、岩手・花巻東高の3年生だった大谷も饒舌だった。

「『160キロを出す』と言い始めた時、周りは無理だろうと思っていたみたいですけど、無理だと思われていることにチャレンジするほうが、自分はやる気が出る。そうやって自分にプレッシャーをかけないと、自分は努力しないので」

 当時はまさか投打の二刀流でプロに挑戦するとは誰も思っておらず、本人も同じだった。

「一度、打者に専念してしまうとなかなか投手には後戻りできない。とにかく、もっともっと、大きな野球選手になりたい」

 彼はもう一つ、大きな決断を下さなければならなかった。国内のプロ野球か、それともメジャーに挑戦するか、の選択だ。

「一流選手がアメリカに行く姿を見て、ピッチャーなら誰でも目指す、すごい場所がメジャーだと思う。自分もそういう人たちと一緒にやりたいと、小さな頃から思っていたんです」

 ドラフトで上位指名されるような高校生が、日本のプロ野球を経ずに海を渡ったケースは当時も現在もない。大谷も、当たり前に日本のプロ野球に進むと思われていた。

 しかし、誰も歩んだことのない道なき道を歩むパイオニアになりたいという野心に満ちた大谷の言葉に触れた筆者は、日本のドラフトを拒否する構えであることを確信した。

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