「一緒に過ごしてると、2人の血に流れている、おどろおどろしいものに自分も惹かれていくし、人間椅子というひとつのサウンドを作るために、2人のことをもっと知りたいと思うんです」(ナカジマ)

 実際ナカジマは、ねぷたまつりにも足を運んでリズムを体験し、「今ではナカジマのほうがうまい酒やいい店に詳しくなった」と和嶋は笑う。

 増子直純(51)率いる「怒髪天」は、札幌市で頭角を現し、1990年前半のバンドブーム直後に上京した。「今年で26年になるのかな」と増子は当時を振り返った。札幌でのライブには恩返し的な特別な感慨もあると言う。故郷はくつろげる街だと認めつつ、こうも言い切った。

「やっぱり、東京はリングなんですよ。何かをやっていくには、強力な対戦相手がいるほど切磋琢磨できる。だから、田舎に帰るというのは、まだ考えられないかな」(増子)

 だが、そう言いながらも、増子は、地元がある者が持つ特別な力についても語る。

「故郷があって東京で戦ってるやつには、心の支えがひとつあるんだなと思います。田舎の泥臭さこそ武器になるというのも、東京に出てこないとわからなかった。訛りなんて興奮したときに出てくる言葉のディストーションなわけだし、それを根底に持ってるだけで音楽としても強いものになりますよ」(同)

 佐賀から福岡に向かい、博多で結成したバンド、「NUMBER GIRL」(2002年に解散)で上京した向井秀徳(44)。かつてNUMBER GIRL時代には、ライブのMCで必ずと言っていいほど自分たちを「福岡市博多区から来ました、NUMBER GIRLです」と紹介していた。そこには、どこかヒリヒリとした感性が流れていた。

「何もない佐賀の田んぼの中の一軒家の2階でひとりで音楽をやっていた私が、福岡に出てきて、パチンコしたり、風俗嬢に惚れたり、そんな日常を送っていた。そんなとき、博多のアパートでバンドを組んで、曲が生まれたということなんですよ。その場所、そのタイミング。それがないと今はないという意味だったんです」

 そう語る向井の言葉には、ある種の緊張感がある。その感覚は、ある意味、自分の居場所を考え続けることが自らの表現の根幹であるという、「都市と郊外(田舎)論」があるとも思える。

「街のきらめきに憧れと嫌悪感の両方を持っているわけですよ。それをまず福岡シティで感じた。入り込みたいんだけど入れない、ストレンジャーな感じが根強くあって、いま東京にいてもそれはある。地方出身者としてその感覚は根深いですね。都市のきらめきに対しての羨みと恨みなんです」(向井)

 取材の後半、向井は福岡、東京に出たときの感覚を、田舎を「捨てた」のではなく、意識的に「断ち切った」と表現した。

AERA 2017年12月11日号より抜粋