千本釈迦堂から東に歩けば西陣織で有名な西陣の町だ。この町名が応仁の乱に由来することを知っている人は意外に少ない。さらに進めば、京都の町を南北に貫く堀川通に突き当たる。かつては川だったこの道路が、東軍と西軍の分かれ目となった。堀川通を挟んで東側には「東陣」の大将である細川勝元の屋敷が、西側には「西陣」の大将・山名宗全の屋敷があった。11年も続く戦乱の主役である両家の距離は、歩くと5分の近さである。

「みんなこの距離感に驚くんですよ」

 と、陸奥さん。山名宗全と細川勝元がこんなにも近くに住んでいたと思うと、義理の父子でもある2人の争いが生々しさを帯びてくる。最初は個人的な争いだったのが、どんどん飛び火してこじれていく。こんなことは、現代でも起こりそうである。

 『応仁の乱』には「戦乱の渦に巻き込まれた人々の生態をそのまますくい取ることが肝要である」と書かれている。その結果、個人の欲やどうしようもなさが余すことなく伝わる等身大の物語になり、応仁の乱の新たな魅力が提示された。これが、現代を生きる多くの読者の胸に、遥かな年月を飛び越えて、響いたのではないだろうか。

「実際に歩いて体験することで、歴史上の出来事が身近に感じられます。町の物語をもっと楽しんでもらいたいですね」

 と、陸奥さんは語る。

 歴史は人の愚かさを教えてくれると同時に、焼け野原から見事復興を遂げて文化を発展させた、人のたくましさも感じさせてくれる。(小説家・寒竹泉美)

AERA 2017年11月20日号