東浩紀「市民運動の方法論は1968年から進化していない」 (2/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

東浩紀「市民運動の方法論は1968年から進化していない」

連載「eyes 東浩紀」

このエントリーをはてなブックマークに追加
東浩紀AERA#東浩紀
「『1968年』-無数の問いの噴出の時代-」展を観覧した(※写真はイメージ)

「『1968年』-無数の問いの噴出の時代-」展を観覧した(※写真はイメージ)

 とはいえ本質的に変わったところもある。個人的に印象に残ったのは違法行為や暴力への許容度の変化だ。ベ平連は米軍脱走兵を支援するためパスポートを偽造した。全共闘は大学を占拠し火炎瓶を投げた。当時は支持者が多かったようだが、ともにいまなら許容されまい。

 それをエゴへの許容度と言いかえてもいい。展示は、「地域エゴイズム」をあえて押し出した運動として、横浜新貨物線反対運動を紹介していた。公共はエゴを抑圧してはならない、むしろみなエゴを主張すべきだという訴えだが、これもいまは支持されにくいだろう。「プロ市民」の「わがまま」というレッテルがすぐ思い浮かぶ。

 全体を見て感じたのは、運動の方法論は68年から進化しておらず、それゆえ袋小路に入っているのではないかということである。半世紀前と比べて、社会の暴力や違法行為への許容度ははるかに下がっている。それ自体は歓迎すべきだが、抗議の表現の幅はどうしても狭くならざるをえない。

 現代社会ではわがままなチンピラは存在を許されない。そのような環境で68年の方法論だけをまねても、優等生と文化人が集まる無力な抗議集会しか開くことができないのだ。むずかしい時代である。

AERA 2017年11月13日号


トップにもどる AERA記事一覧

東浩紀

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい