「この法案の中身は、日本の自衛(のため)でなくても、他国の戦争に、日本が参加するというものです。だから我々は(安保法制を)認めることができないんです」(15年7月16日の国会前スピーチから)

 しかし、そんな細野氏はいち早く民進党を離党。かつての仲間に、「安保法制撤回と言い続ける方は希望に入るのは難しい」と180度態度を翻した。

●立ち位置はど真ん中

 枝野氏が立ち上げた立憲民主党に真っ先に合流し、党旗揚げの実務を担ったのは前原代表と同じ京都選出の福山哲郎参議院議員(55)だ。前原氏の側近として知られる福山氏。21年前、民主党結党当初から前原氏と2人で、野中広務氏や伊吹文明氏、共産党の穀田恵二氏など自共盤石の京都で、京都民主党を立ち上げた「同志」だ。

 福山氏自身も前原グループに所属。過去に行われた民主党代表選挙では前原氏を支持してきたが、先の代表選挙では枝野氏を支持した。福山氏は言う。

「入党する際に安全保障法制に賛成しろという条件を付されるような政党に行くことはできない。できて何日か分からないような政党に、政権与党も経験した政党がそんなことを言われる筋合いはない」

 この分裂騒動に際して……と質問しようとすると、それを遮って声を荒らげた。

「分裂したのではなく、分裂を強いられたんです」

 表情は険しかった。誰によってどのように分裂を強いられたのか、と聞くと、「それは想像にお任せする」と言葉を濁す。民進党を離党した後の記者会見では終盤、前原氏との決別について「残念」と一言だけ言及。ある尊敬する先輩議員から教えられたという永田町の掟を引いて、無念の表情を浮かべた。

「永田町には一生の友人もいないし、一生の敵もいない」

 立憲民主党を立ち上げた枝野氏の元には、菅直人氏(71)や辻元清美氏(57)などリベラルを標榜(ひょうぼう)する議員が参集した。党の政策をまとめた政策集には「1日も早く原発ゼロ」「あらゆる差別の禁止」「安保法制を前提とした憲法9条の改悪に反対」などの文言が並ぶ。幹事長となった福山氏は安倍政権を念頭に、日本社会では「分断」と「排除」の政治が行われ立憲主義が壊されているとした上で、党の立ち位置を「右」でも「左」でもない「ど真ん中」と表現した。

「この国で普通に働いている学生やサラリーマン、子育てをしている方が、まっとうに安心して生活できる社会をつくりたい。森友学園や加計学園などの疑惑に関して、普通の感覚でおかしいと思う人の受け皿になりたい」

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