経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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仮想通貨は仮装通貨だ。2016年12月26日号の本欄でそう書いた。最近の展開をみていると、仮想通貨の仮装性はますます強まっているようにみえる。仮装の下はどんな顔? 実は、仮装している側にもそれがわかっていないのかもしれない。
ここに来て、仮装通貨にさらに厚化粧ならぬ厚仮装させたような代物が登場してきた。ICO(Initial Coin Offering)である。日本語名称は「新規仮想通貨公開」だ。IPO(Initial Public Offering:新規株式公開)になぞらえたネーミングである。内容的にも限りなく新規株式公開に近い。ただ、公開するものが仮想通貨だから、配当を約束する必要もないし、これといった対投資家責任も伴わないですむ。
「アッと驚くようなことをやってご覧に入れます。おカネ下さい。代わりに仮想通貨を差し上げます」。このお誘いに驚異的にたくさんの人々が乗っている。この有り様は、金融市場発祥の地のロンドンで、初めて株式というものが売り出された時の光景に酷似している。何のために使われるカネなのかはわからない。株式なるものについても、その正体がよくわからない。でも、なんだか儲かりそう。買わないと損かも。こういう具合に、得体の知れない「(アド)ベンチャー」に人々が争って出資した。
19世紀のイギリスに逆戻りしたかのごときICO騒ぎ。その中で、面白いテーマのICOがオファーされていたことを発見した。その名は「ザ・バンコール・プロトコル」だ。バンコールは、かのJ・M・ケインズが考案した国際決済手段だ。戦後の国際通貨体制を論じる中で、ケインズはバンコールの創設を提唱した。対するアメリカは、自国通貨のドルを国際通貨体制の軸に持っていこうとした。
思えば、バンコールこそ、世界初の仮想通貨構想だったと言えるかもしれない。取引が電子的ではなく、管理システムが分散台帳方式でもない。この2点が違う。だが、概念的にはバンコールこそ、元祖仮想通貨だったと言っていいかもしれない。ご先祖様を蘇らせようというあたり、仮装大好きのICO集団にもなかなか神妙なところがある。そうみるべきか。ぜひ、ケインズ先生に伺ってみたい。
※AERA 2017年9月25日号