ノーベル平和賞受賞の演説で訪れたオスロで歓迎を受けるスーチー氏 (c)朝日新聞社
ノーベル平和賞受賞の演説で訪れたオスロで歓迎を受けるスーチー氏 (c)朝日新聞社

 ミャンマーのイスラム教徒ロヒンギャ迫害に非難の声が高まっている。アウンサンスーチー氏は一体どうしたのか。

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 今回、多数のロヒンギャが難民になる発端となったのは、8月25日にあった武装集団による警察や軍への襲撃事件だ。バングラデシュとの国境に近いミャンマー西部ラカイン州マウンドーの約30カ所が数百人に襲われ、警官ら11人が死亡した。ロヒンギャの集団とみられ、刃物や棒で襲いかかったという。

 襲撃から数時間後、武装組織「アラカンロヒンギャ救済軍」(ARSA)が「世界で最も迫害された人たちを守る」などとツイートした。ミャンマー政府はARSAによる襲撃だったと断定し、掃討作戦を開始。戦闘で9月中旬までに400人以上が死亡し、約40万人がバングラデシュに逃れた。

●多くが「偽情報」と断言

 ロヒンギャ難民からは、「治安部隊が住民を暴行し、村に放火している」との証言が数多く寄せられている。一方、ミャンマー政府は「テロリスト集団が家に火をつけたり、村人を襲ったりしている」と主張する。

 そんな中、国際社会の批判の矛先は昨年、事実上の政権トップの座についたアウンサンスーチー国家顧問に向けられている。自宅軟禁になっても軍事政権に屈せず、民主主義を訴え続けてノーベル平和賞を受賞した同氏だが、今回の対応に受賞取り消しを求める声も噴出。だがスーチー氏は人権侵害の情報の多くが「偽情報」と断言している。

 ロヒンギャはバングラデシュ南東部の方言に似た言葉を話し、ラカイン州を中心に約100万人が暮らすと推計される。仏教徒が9割近くのミャンマーでは少数派だが、マウンドー一帯では多数を占める。ミャンマー政府は「バングラデシュ移民」とみなし、大半に国籍を与えていない。これまでも軍政下での迫害や仏教徒との衝突で、難民となって流出してきた。

 NGO「国際危機グループ」によると、こうした難民の一部が海外で訓練を受け、ARSAの中心になったとみられる。過激派組織「イスラム国」(IS)などと直接的なつながりはないとされるが、ネット上では「ISはロヒンギャの若者を勧誘すべきだ」といった意見が交わされているという。

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