万全でない足の状態でも桐生はリミッターを外したような爆走で9秒台を出した (c)朝日新聞社
万全でない足の状態でも桐生はリミッターを外したような爆走で9秒台を出した (c)朝日新聞社

 ついに、陸上100メートルで桐生祥秀が<壁>を突破した。10秒01の衝撃から4年。天才は試練を乗り越え、成長した。

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 9月9日、桐生祥秀(東洋大4年)が最後の日本インカレで9秒98を記録し、4年前に10秒01を出して以来の<10秒00の壁>の呪縛から解き放たれた。

 10秒01から9秒98までは距離にしてわずか30センチ。だが、それを縮めるための道のりは暗いトンネルに入り込むような、常人には理解しがたい試練の連続だったに違いない。

 日本人が電気計時で初めて10秒2台に突入したのは1988年。そこから1台までが5年、1台から0台までが4年、98年の伊東浩司の10秒00までは1年。日本記録は右肩上がりで伸び続けていた。ところが、9秒台を目前にしてパタリとその歩みが止まる。

 長く停滞感が漂う中、2013年春の織田記念男子100メートル予選で10秒01の日本歴代2位という記録を出して登場したのが洛南高3年の桐生だった。

●反発から信頼へ

 以来、桐生は走るたびに9秒台を期待された。重圧は増すばかりだった。東洋大に進学して環境が変わったことをきっかけに、桐生の苦悩は深まる。

 自分の感覚を信じる桐生は、大学から指導を仰ぐことになった理詰めの土江寛裕コーチとの間で葛藤が生じてしまう。

 まだ、入学して間もない春先。理論重視で指導する土江コーチに嫌気が差した桐生は「あんたは僕を速く走らせる自信がない。僕を五輪のファイナリストにすると言え」と思いをぶちまけた。

 だが、理論を大事にする土江コーチには、確信もなく安易に約束することはできなかった。2人の関係は、桐生が「口もきかない時期があった」と打ち明けるほどの決裂状態になった。度重なるケガが悪循環に拍車をかけた。

 9秒台までわずか100分の2秒。それが遠かった。桐生は「<壁>は感じない。通過点に過ぎない」と度々口にしたが、それでも新たな記録は生まれなかった。10秒00の伊東浩司、10秒02の朝原宣治、10秒03の末續慎吾のいずれもが、当時「9秒台は出せる」と語っていたが、それを実現することはなかった。

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