小説『息子と狩猟に』の著者であるサバイバル登山家、服部文祥がAERAインタビューに答えた。
* * *
服部文祥さんは大学時代からオールラウンドに登山を実践。1996年にカラコルム・K2登頂。97年の冬には黒部横断。黒部別山や剱岳東面、薬師岳東面の初登攀など、国内外に登山記録がある。その彼が行き着いたのが「サバイバル登山」というスタイルだ。持参する食料は生米と調味料のみで、おかずは現地調達。テントすら持参しない最小限の装備で行われる。本書はその経験に裏打ちされたからこそ描けた、生と死とが同居する「命」に迫るエンターテインメントで、服部さん初の小説作品だ。
そもそも服部さんを山へと導いたものは何だったのか。
「表現者に憧れていましたが、書きたいという思いがあっても、自分には書くべきものがなかった」(服部さん)
しかし、書くべきものを探求するなか「現場」という言葉と高校時代に出合う。時代はベトナム戦争期。アメリカ側ではなく、北ベトナム側の論理で報告されたルポルタージュに興味を持つ。両方の論理が交錯する「現場」。「自分にとっての現場とは何か」を考えた青春時代だった。
「初心者からベテランまで平等に死ぬ登山に惹かれ、表現する『現場』を山に選びました」
物語は息子を連れ鹿狩りに出た主人公が、訳ありの入山者と遭遇することで起こった出来事が描かれる。狩られるのはどちらか? 主人公は猟師。ハントそのものを楽しむレジャーハンターとは違い、「獲ったケモノは自らの手で解体し、料理して食べる。本来生活の一部であるその行為が含まれる」(服部さん)。
もう一人の主人公は、猟師が山で遭遇した訳ありの入山者。男は詐欺集団のリーダーだった。全く非対称な二人。しかし「人間の約束の中でケモノを殺すことを許されている」
猟師も、ある意味「社会のルールの外で活動する」存在だ。猟師と詐欺集団のリーダーという非対称な両者は社会から離れた存在という意味で重なる。舞台は「本能というか、より動物に近い判断をすることでしか生きていけない」山の奥。だから命にかかわる問いには「自然のルールか自分で裁く」ほかはない。小説の読みどころは大自然のもとで行われる、両者の本能のぶつかり合いだ。その命のやりとりは「人間は生き残るために何をするのか」という普遍的なテーマに迫る。最後に狩られたのはどちらか?
小説にまで幅を広げた服部さんの「現場」からの表現。今後さらなる深化を見せるだろう。(ライター/本山謙二)
※AERA 2017年9月18日号