岸富美子(きし・ふみこ)満映(満州映画協会)に勤め、戦後は、中国人スタッフへの編集技術伝授にも尽力し、53年に帰国後は独立プロ作品などで活躍した(撮影/編集部・野村昌二
岸富美子(きし・ふみこ)満映(満州映画協会)に勤め、戦後は、中国人スタッフへの編集技術伝授にも尽力し、53年に帰国後は独立プロ作品などで活躍した(撮影/編集部・野村昌二

 南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」。かつて超特急「あじあ号」が広大な満州の原野を走った。敗戦で満鉄は消滅し、今では多くの関係者が鬼籍に入った。戦後72年。満鉄とは何だったのか。関係者の記憶を集めた。

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 私が満映(満州映画協会)に入ったのは1939年、19歳のとき。満映に入社していた兄に勧められ、母と一緒に神戸から船で大連まで行き、あじあ号に乗って満映の撮影所があった新京(現・長春)にたどり着きました。

 満州国のプロパガンダ映画を作るのが満映に課せられた使命。一番印象に残っている映画は「白蘭の歌」。李香蘭こと山口淑子さんが主演し、私は編集助手。じつは、李香蘭さんは私たちが暮らしていた社宅の隣に住んでいたのです。きれいな人でした。中国の服を着て、足を半分出しているでしょう。でも、向こうは大スターだったから、出かけるのを見ているだけでした。

 仕事は楽しかったです。だけど、45年8月9日にソ連軍が街になだれ込んでくると状況が一変します。11日の昼ごろ、満映理事長の甘粕(あまかす)正彦さんから通達がありました。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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