「友愛……ですかね」

 今でも反戦平和運動の現場などではジョン・レノンの「イマジン」をよく聞くが、実はちょっと理想論にすぎると一歩引いて見ている人は多いのではないか。かくいう私自身がそうである。そして右翼はこの歌を無政府主義の極左の思想だと罵る。そういう風潮のなかで、三浦のようなストレートな考えは、今どきめずらしいものだ。

 サブカルチャーが掲げてきた理想主義や意識変革は観念的で実効性がなく、現実社会に何の変革も及ぼすことができない──そうした批判は、この20~30年で主流の見方のひとつになった。

●ムーブメントへの不信 文化的政治は無効なのか

 評論家の栗原裕一郎は北田暁大、後藤和智との共著『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(イースト新書)のなかで、今の社会運動における「ムーブメントとしてのDIY文化」の源流を60年代のベトナム反戦運動以来のカウンターカルチャーにあるとし、そうした左派文化運動は「経済オンチ」で、時代が求めているのは文化ではなく政治の言葉だとする。

「僕はムーブメントというものをあまり信用していないのかもしれない。あとから見ると間違っていたことが多すぎるという意識もある。文学者たちの反核などの動きはほとんど全部失敗してます」

 栗原にとっては、SKY-HIの「キョウボウザイ」ですら、「いわゆる音楽トライブのごく一部から外に出てない感じで、エコーチェンバーのなかで同じ主義主張の人同士が共鳴しあっているだけ」に聞こえるという。

 栗原らの批判は、海外でもポピュラーなものだ。たとえばカナダの哲学者ジョセフ・ヒースとアンドルー・ポターは、『反逆の神話』(NTT出版)で、「左派は文化的政治をやめよ」と主張する。カウンターカルチャーはその性質上「ディープさ」「ラディカルさ」を追求する傾向が強く、そのために現実の社会問題に有効な解を与えず、「ユートピア志向の欲求」を保つことそのものが目的化しているという。

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