人びとが防空壕とどのようにかかわってきたのかを丹念に調べていくことを通じて、基隆という町の成り立ちを見つめ直そうとしているのだ。

 基隆市は昨年11月、市内にある防空壕のうち、市内を一望できる公園の地下にある1カ所について、防空壕を核とするリノベーションのアイデアを募集するコンペ形式の催しを行った。林右昌(リンユウチャン)基隆市長は「防空壕は都市の歴史と記憶が残されたスペースである」と指摘し、防空壕を保存する価値を積極的に見いだそうとする。防空壕はここでも主役になるかもしれないのだ。

 基隆港の利用客数は確かに多い。2016年は台湾の港湾で最多の78万2134人となり、5年前の約1.7倍に増えた。台湾の北の玄関にふさわしい数字である。

 しかし、港湾管理を行う台湾港務股フェン(にんべんに分)有限公司(ガンウグフェンヨウシエンゴンス)のデータで、基隆、台中(タイツォン)、高雄(ガオシオン)、花蓮(フアリエン)の4大港湾に、09年に新北(シンベイ)市八里(バリ)区で本格供用した台北港を加えた5港の状況を確認すると、基隆は16年までの10年間で、貨物の取扱量が31.12%も下落し、港湾都市としてのステータスを失いつつあるという現実に直面していた。そこで若者たちが目をつけたのが、防空壕など日本統治期から残るリソースなのだ。

 2015年から毎年、音楽やフリーマーケットなどを組み合わせたイベント「梓桑文化祭」を開き、基隆の再興に取り組む若者たちのグループ「基隆青年陣線(チンニエンツェンシエン)」(基隆ユースフロント、基青陣)は今年、化被洞為主洞が梓桑巷防空洞で開いたイベントでコラボした。基青陣は許梓桑古(グ)ツオ(がんだれに昔)の周辺をめぐるスタディーツアーを企画し、梓桑巷防空洞前を通る細い路地にはちょっとした人波さえ出現した。

●町おこしの足掛かりに

 基青陣には高校生から40代まで20~30人のメンバーが参加しており、そのほとんどが基隆出身だ。張之豪(チャンツハオ)理事長(36)は母親(66)が基隆出身。5年ほど前、母の実家近くを散歩していて偶然、古い建物が残っていることを知った。「夜だったので、ちょっと怖い感じ。大きな場所なのに、人は住んでいませんから」。赤レンガづくりの美しさに気づいた張氏は、3年ほど前から仲間と掃除を始め、この古い建物を町おこしの足掛かりにしていった。

 では、若者が町おこしに取り組む意味はなんなのか? 基隆で町おこしを行う意味は?

 張氏が答える。

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