ゼロラインを巧みに利用しながら、この地でミャンマーからの有益な物資や情報を得ている。

「私は88年に民主化を求める学生デモをしていたことで当局に睨まれ、89年に山を越えてバングラデシュに逃げました。まだ大学2年でしたが、ロヒンギャに対する迫害はすさまじくて命の危険は常に感じていました。バングラデシュからタイ、タイから日本へ移動しました。93年のことです。3年ほど経ってパキスタン人の友人ができました。彼らはミャンマー人よりも商売が上手で起業していました。その中の一人が館林に住んでいたので彼を頼って群馬に向かったのです」

 2000年には自身で車を輸出する会社を設立してバングラデシュやタンザニア、ケニアへ向けて売りまくった。ビジネスが成功すると多くのロヒンギャたちがセリームさんを慕って館林に集まってきた。

「マレーシアからは38人ほどのロヒンギャが私の保証で来日しました」

 入管に捕まった同胞の支援活動にも奔走した。「この地域の人に愛されるように振る舞おう」と呼びかけ、ムスリムへの偏見を払拭するために地元の人とも頻繁に交流した。気がつけばコミュニティーが成立していた。

 祖国における弾圧が続く中、何が一番問題か聞いた。

「マバタ(国家と仏教を守る会)のヘイトスピーチです」

 マバタとは、ミャンマーの右派の仏教者の団体で、近年急速に勢力を拡大している。マバタは「ロヒンギャはバングラデシュからやってきた不法移民である」との言説を流布して「民族浄化」の根拠にしている。

「私たちがどうやってバングラデシュから来るんですか。もう何代も前から住んでいるというのに」

 怒りで言葉に力がこもった。(ジャーナリスト・木村元彦)

AERA 2017年9月4日