「悶々としていた」というのは、さまざまな政治状況に対してミュージシャンとして何をなすべきか、答えを出しあぐねていたという意味である。安保法制が国会を通過しそうになっていた2015年頃から中田はデモや集会に積極的に足を運ぶようになったが、7月9日の新宿での詩の朗読は、そのひとつの回答とも言えるものだった。

「ミュージシャンが今の政局を勉強してそれを発表してもしょうがないなと。でも直接行動にはかかわっていきたい。ラブとかピースとか抽象的な歌をつくるのも大事だとは思うけど、僕はあんまりそれは得意じゃない。それに、すぐに結果が出るわけでもない。ジョン・レノンの『イマジン』だって、ベトナム戦争を止めることはできなかったんです。だからミュージシャンとしてできることは単に音楽をやることだけではなくて、直接行動にかかわって、それを発信していくことだと思ってる。ということは、デモに行くという行動で示すのがいちばん効果的で意味があるし、みんなに影響を与えることもできる。それがミュージシャンとしての責任のひとつだと。ギル・スコット=ヘロンが『革命はテレビ中継されない』でうたってることも、きっとそういうことなんだなと」

 中田がその訳詩を自分のブログに発表したのは2年前の9月2日。ちょうど国会前で大規模な安保法制デモが連日続き、それらを牽引していたひとつ、SEALDsが大きく注目されていた時期だった。

「よくラップ調とか言われてたSEALDsですけど、若い人はどういうのに影響を受けてるんかな?と訝しく思ってたんです。ところが国会前で初めて見たとき、彼らは『ファイト・ザ・パワー』とか言ってて、え?と思った。パブリック・エネミーやんと。彼らは若いのに、そういう文脈もちゃんと押さえてた。どうも僕が90年代に思い描いてたことが現実に起こったぞという感じがして、衝撃的でした。今の社会運動や政治運動が音楽的な文脈のもとに起きてるということは、今でもちょっと夢みたいだと思うことがあるんです」

(フリー編集者、ライター・野間易通)

AERA 2017年8月28日号