死の定義の一つは、「絶対にわからない」ということです。それを私は、小学校の4年生の時にわかりました。わからないということがわかったのです。

 私は小児ぜんそくの発作で、3歳のころから何度もこのまま死ぬのではないかという感覚を持ち、子ども心に「死とは何か」ということを真剣に考えました。そんな時、祖父が亡くなりました。その祖父の遺体を見た瞬間、これは「死体」であって「死」ではないとわかったのです。つまり死は自分だけのこと、他人にわかるわけがない、と。そしてその時、漠然と思ったのが、生きているというのは死につつあるということです。

●生に重力を与える死

──私たちは死ぬために生きているということですか。

 違います。多くの人は、生きている人間は生きている時間がずっと続き、それが途切れると死ぬと考えがちです。そうではなく、生と死の時間は並行に流れているのです。そうでなければ、生きているという感覚を持ちようがありません。命の終わりは「生」と「死」の終わり。生に重力を与えているのは死です。では、死が終わるとその先に何があるかと聞かれれば……それはわかりません。

──これから日本は多死社会を迎えます。死が非日常でなくなったとき、私たちの死に対する思いは変わってくるでしょうか。

 この先毎年、増え続ける高齢者が死に続けます。そうなると、科学の発達とともに、死者との関係性の取り方や、私たちの死への態度が変わってくるし、難しくなってくると思います。

 一つは、自意識をコピーできるようになったらどうするかということです。例えば、脳が量子医学のレベルで解明され、記憶や意識をコピーできるということになれば、バーチャルな人間を再生することが可能になるかもしれない。すると、亡き母と「お母さん、しばらく。元気?」「元気よ」といったやり取りが可能になるかもしれない。そうなると死者への弔い方は変わってきます。

──そうすると、恐山の役割も変わってくるのでしょうか。

 変わるかもしれないし、強い喪失感を抱えている人にとっては関係性の強度が増すかもしれませんね。どっちに転ぶかは、まるでわからない。ただし、人間が言語と自意識をもって死を考え続ける以上、「弔う」という行為はなくなることはありません。そして死者を想うという感情がなくならない限り、恐山という場所は続くでしょう。

(編集部・野村昌二)

AERA 2017年8月7日号

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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