土屋賢二(つちや・けんじ)/1944年、岡山県生まれ。お茶の水女子大学名誉教授。『人間は笑う葦(あし)である』『ツチヤの口車』など著書多数。近刊に『無理難題が多すぎる』(写真:本人提供)
土屋賢二(つちや・けんじ)/1944年、岡山県生まれ。お茶の水女子大学名誉教授。『人間は笑う葦(あし)である』『ツチヤの口車』など著書多数。近刊に『無理難題が多すぎる』(写真:本人提供)

「趣味は何ですか?」。会話の糸口に聞かれることは多いもの。だが、これといって趣味がないと、この質問はプレッシャーだ。SNSにはリア充趣味に興じる様子がてんこ盛り。趣味界は、なんだかんだと悩ましい。インスタ映えを重視して「趣味偽装」する人、趣味仲間から抜けられずに苦しむ人もいるらしい。AERA 7月31日号ではそんな「趣味圧」の正体を探る。

 紆余曲折、疾風怒濤の人生を過ごしてきた趣味の達人たちにもインタビュー。その中から趣味なんてないに越したことはないと語る、哲学者・土屋賢二さんの趣味論を紹介する。

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 趣味なんてないに越したことはありません。「100個でコンプリート」ものを集め始めたら90個ではやめられない。もう好きでもないのに、あと10個集めなければ終われないんです。苦痛ですよ。

 僕もいろいろな趣味に苦しんできました。ちょっと前だとコンピューター。部品を集めて組み立てるんです。やり始めると止まらない。仕事がおろそかになり、害悪でしかない。ミステリー小説が好きなんですが、駄作にしか当たらない。読んでも読んでも面白くないので、最近は本当に好きなのかわからないほどです。

 40歳過ぎて始めたジャズピアノも、子どものころからやっていないから、5本の指が独立して動かないわけです。あるとき気づいたのですが、好きなミュージシャンのコピーを練習しても、そのミュージシャンより絶対にうまくならない。CDを聞いたほうがいい。だから今度は自分が弾きやすい曲を作るようになりました。大学の文教育学部長をしていて忙しかったのに、1週間に2日もライブをやったりして本当に無駄。その時間と労力と金を、通りすがりの人に寄付したほうがよっぽど有意義なのに。

 中学のときにやって挫折したトランペットも、断続的に練習を再開する。吹けない。失意のうちにあきらめる。で、何年かすると、「今度はできるかも」と思う。全然進歩がない。

 パチンコ屋で横にいたおじさんが「ああ、おれはバカだ。こんなことにまた2千円も使って」ってずっと言ってたんです。あれと同じです。ギャンブル。「今日は勝てるかもしれない」ってずーっとやめられない。今では負ける気しかしません。

 ゴルフでもカラオケでもゲートボールでも「上手になりたい」って思うからダメなんじゃないですかね。男が粋人らしく俳句やり始めて、「俳句に生きる」なんて家族に宣言しちゃって、たいていジタバタしてますからね。趣味なんてストレスしかない。体に悪い。

 妻は健康体操が趣味で毎晩しているんですが、毎日少しずつ種類が増えるんですよ。やるまで寝られないから、日々睡眠時間が短くなるんです。健康を犠牲にしてまで健康を目指しています。

 みんな空白の時間が不安でしょうがない。ノイローゼのゴリラがいて、テレビを見せるようにしたら治ったんですって。あのね、本当はノイローゼになるほど悩むべきなんですよ、ゴリラも。趣味なんかで気を紛らわせないで、そうして哲学すべきなんですけどねえ。

(構成/編集部・渡部薫)

AERA 2017年7月31日