話は延命や介護、墓じまいにまで及び、予定の3時間があっという間に過ぎた。中央が小平さん(撮影/編集部・野村昌二)
話は延命や介護、墓じまいにまで及び、予定の3時間があっという間に過ぎた。中央が小平さん(撮影/編集部・野村昌二)

 親の看取りは誰しもが経験するもの。しかし、ゆっくりと最期のお別れをすることができなかったと、後悔する人は多い。まだまだ元気だからと、話し合わずにいると、その日は急にやってくる。お墓のこと、相続のこと、延命措置のこと、そろそろ話し合ってみませんか? AERA 2017年7月10日号では「後悔しない親との別れ」を大特集。「死」について語り合うことのできるカフェを取材。参加者に話を伺った。

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 その名も「デスカフェ」。名前こそおどろおどろしいが、死をタブー視せず、死に向き合う集まりだ。

「余命がわかっていると、準備ができて旅立てるので、いいのかなあ」
「私自身は、余命を告げられると自殺をするかもしれない」

 6月中旬の午後。都内のビルの一室で開かれたデスカフェ。30~70代まで、職業もバラバラの男女9人が首都圏各地から集まった。コーヒーを飲み、お菓子を食べながら、「自分の余命と終末期の過ごし方から考える死」をテーマに、自由に話し合った。時に笑いも起きた。

「頭に浮かぶのは、母のおむつを替えた時の屈辱の顔。ぼけているのも救いの一種だと思う」

 など、話は介護にまで及んだ。そもそもデスカフェは13年ほど前に、スイスの社会学者バーナード・クレッタズが妻の死を契機に始めたとされる。今や世界中に広がり、日本でも数年前から葬儀社や僧侶たちが主催するようになり、静かに広がっている。この日のデスカフェを主催した、小平知賀子さん(55)は言う。

「死について語ることで、自分の時間の有限さがわかります。今を大事に生きるということの大切さをより痛感します」

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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