政治的行為や発言、吟味する習慣をいま取り戻そう(※写真はイメージ)
政治的行為や発言、吟味する習慣をいま取り戻そう(※写真はイメージ)

 思想家・武道家の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、哲学的視点からアプローチします。

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 政権末期の兆候である失言、失態が連日報道されている。政府は野党やメディアの追及から逃れようと必死だが、この原稿が掲載される頃には、おそらく「次の事件」がまたメディアをにぎわしていることだろう。長くコラムを書いてきたが、「今から掲載日までの間に何が起きるかわからない」という理由で題材選びに迷うということはさすがになかった。

「事件」が起きるインターバルのあまりの短さが私には気になる。それは一つ一つの政治的行為や発言について、「じっくり時間をかけてその適否や意義を吟味する」という習慣が私たちの社会から失われつつあることを意味するからである。少し時間をかけて調べれば当否が明らかになることについても、私たちはもう吟味しなくなっている。

 一例をあげる。2015年の安保法制の提案理由として安倍首相は「抑止力の向上」をあげた。「国籍不明航空機に対する自衛隊機の緊急発進(スクランブル)の回数は10年前と比べて、実に7倍に増えています。これが現実です。そして、私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません」と述べて、安保法制によって日米が軍事的に共同行動をすることを世界にアピールすれば、「抑止力はさらに高まる」と首相は揚言した。だが、その後何が起きたか。

 首相の言うように、スクランブル回数が抑止力不足の指標であるのなら、安保法制の整備後にはスクランブル回数は減少してよいはずである。だが、実際には安保法成立後の16年度のスクランブル回数は1168回、戦後最高を記録した。北朝鮮のミサイル発射数も中国艦船の領海侵入も安保法成立後に増加した。

 スクランブル回数や外国船の領海侵入回数が「抑止力が効いていないこと」の指標なら、安保法制は抑止力の向上にまったく役立たなかった(むしろ損なった)ことが1年後に明らかになった。だが、誰もその責任を取る気配がない。首相も防衛相もそれについて説明しようとする気もなさそうである。「これが現実です。私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません」と言いたいのは私たちのほうである。

AERA 2017年7月10日

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内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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