決勝では、8月の世界選手権の参加標準記録10秒12を突破する、日本歴代7位タイの10秒08をマーク。「今年中には絶対に出したい」と語っていた10秒0台をあっさりとクリアした。

●広がる未完の可能性

 これで標準記録突破者は、200メートルに専念する飯塚翔太を合わせたリオ銀メンバーと多田の5人となり、23日に始まる日本選手権で誰かが3人の枠から落ちてしまうサバイバルレースが実現することになった。

 176センチ、66キロのシャープな肉体は、本格的なフィジカルトレーニングに着手したばかり。「年単位でじっくりとつくる」方針だ。スタートの不安定さなど、改良すべき課題も多いが、それはむしろ、のびしろが大きいことの裏返しでもある。

 高校ではインターハイ6位など下位入賞が精いっぱいで、自己記録は10秒50だった。だが、大学に入ってから10秒2台に突入し、前述の学生個人選手権で一気に10秒08に到達した。ここに至る萌芽は、大学1年の8月末に走った近畿選手権のレースにあった。多田はライバルに負けじとフィニッシュで頭から突っ込み、転倒しながらゴールする。勝利の代償は大きく、数カ月は走ることができない左ひざ後十字靱帯(じんたい)損傷の重傷を負ってしまった。

 だが、タイムは10秒27の自己新だった。このとき、ある手応えがあった。

「これなら日本のトップに勝って世界に行けるチャンスがいずれ来るなって。目標が明確になりました」

 それから2年。今や、多田の感覚がとらえる標的は、その輪郭をさらにくっきりと見せ始めている。それはズバリ9秒台だ。

「日本人で最初でなくてもいい。でも、3年後の五輪までには出して、個人の100メートルで世界の決勝で戦える選手になりたい」

 桐生、山縣、ケンブリッジ、そして多田。「9秒台時代前夜」の波乱を予感させる強烈な個性が名乗りを上げた。

(ライター・高野祐太)

AERA 2017年6月26日号