10年3月、退職して家にいるようになった女性は、歩く速度が遅くなったり、自転車でたびたび転んだりする夫の姿に違和感を覚えた。愛犬の散歩も怖くて一人で行かせられなくなるほどだった。同年8月、夫は「進行性核上性麻痺」と診断された。中年期以降に発症するといわれ、歩行障害、眼球運動障害、認知症などが起きる。早期退職していた夫とともに第二の人生を楽しもうとしていた矢先だっただけに、夫婦のショックは大きかった。

「特効薬もない難病で、どん底に落とされたような気持ちだった」

 夫は次第に今までできていたことができなくなっていった。最初は自転車を電動式の三輪に替えて乗っていたが、それも危なくなり、歩行には杖を使い始めた。転倒して頭を打ち、大けがをすることもあった。そして車椅子の生活となった。

 それまでは自分で洗濯物を干したり、お米をといだりと、できることは積極的に自分でやるようにしていた。杖を使い始める前の早い段階から、体を動かす時につかまるためのロープを部屋に張ったり、業者に手すりを家中に設置させたり、工夫もしてきた。

「そうしないと、どんどんできなくなってしまう。使える筋力は使おうということで、夫が自分で考えてやったことなんです」 

 通院も続けたが、症状の進行が止まることはなかった。最後のほうになると、自分では食事も思うようにできなくなった。自分の意思を言葉で伝えることも徐々に難しくなっていった。

●自分の遺産も遺贈したい サポートセンターも創設

 夫に寄り添い続けた女性にとっても「毎日が闘いだった」。同じ難病の家族会と情報交換したり、いい医師がいると聞いて名古屋まで夫を連れて行ったりした。亡くなる直前まで夫が通ったデイサービスの介護職員とは日誌を欠かさず交わした。これとは別に、夫の病状や闘病生活の様子を写真や文字でクリアファイルに記録し続けた。

 15年12月16日夕。肺に水がたまったために11日前から入院していた病院で、「食欲ある?」と聞いた女性に、夫は消えそうな声で「あるよ」と答えた。これが夫婦の最後の会話となった。誤嚥性肺炎を併発していた夫は翌17日未明、息を引き取った。「ありがとう」と互いに伝える時間もないほどの急変だった。

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