昨年は公演場所に悩む一座を、制作担当者として故郷・津市の芸濃町に招き、8日間で1700人もの観衆を集めさせた。そして今年、花園神社へ。60歳を超えた今なら、なけなしの金で汗を流す若い彼らを支えていきたい。その一心で寄り添う。

 幕が閉じ、いまだ熱気に包まれたテント空間の一角で、主宰者の桃山さんが佇んでいた。

「30周年? 誰から聞いたんですか。また余計なことを」

●畏怖と差別の綱渡り

 かすれた声で笑われた。若いころから建設職人として「寄せ場」を渡り歩き、飯場暮らしを続けた一方で、当時過激な演劇集団として名を馳せていた「曲馬館」に所属。その後、87年、前出の千代次さんら3人でこの「水族館」を旗揚げした。大八車を引き、都会を離れ福岡・筑豊へ。活気を失った炭鉱住宅を巡演しながらの公演活動を始めた。以来、商業演劇とは絶対的な距離を置きながら、野外舞台にこだわる。心の奥底に常にあるのは「建築もまたひとつの芸能なのではないか」という思いだ。

「高いところへ行くでしょう。鳶、と言われて。命を張ることへの驚異とうらはらに、尋常ならざるものへの畏怖と差別がある。芸能もそう。聖と穢とが綱渡り」

 けれども、だからこそ、生まれるグルーブ。文字通り、力を合わせなければ全うできない。かけがえのない仲間と、見果てぬまぼろしを追いかける。

「まだやめませんよ」。独特の嗄れ声でそうキッパリ告げると、桃山さんは缶ビールをあおる観衆たちの輪の中に消えていった。

(ライター・加賀直樹)

AERA 2017年5月29日号