閣議決定は行政権を担う内閣の統一見解なので、その方針は各官庁の官僚に拘束力を持つ。たとえば、「教育勅語は教材として使用可能」という閣議決定が出されれば、文部科学省の官僚は、それに従った行政運営が求められる。とはいえ、政府答弁書自体を関係省庁の官僚が書いているので、役人の「思惑」が答弁書に入ることもある。官僚が文章表現を微妙に書き換え、別の意味に解釈できる余地を残す独特の公文書作成は、「霞が関文学」とも呼ばれている。

 元経産官僚の古賀茂明さんは「政府答弁書のタイプは三つに分類できる」と語る。

 一つ目は「政権忖度型」。官僚としては乗り気ではないが、政権の方針には逆らえないので忖度して書く。「昭恵夫人は私人」などがこれに当たり、官僚も無理筋だとは思いながらも、政権ににらまれたくないので、その意向に従って作成する。二つ目は「世論対策型」。政権も率先して出したくはないが、世論の反発も考えて書かなければいけないケース。役人の不祥事に対する再発防止策などは、本音では政権も官僚もどちらもやりたくない。しかし、世論を意識して渋々ながら書くという。三つ目は「便乗型」。質問主意書に便乗して、自分たちに利益誘導できる文言を入れて答弁書を作成する。政権は無関心だが、官僚にとっては重要となる。たとえば、宇宙開発に関する質問主意書が出たときに、「必要な予算措置も含めて積極的に推進する」という一言を入れ、事後に「閣議決定でも予算措置に触れていた」と予算交渉などに使うという。

「閣議決定は官僚を拘束しますが、逆に官僚が利用することもある。世論対策だけで、実務では放置するケースもある。国民が考える以上にしたたかに立ち回っています」(古賀さん)

●答弁書が「事実」を作る

 奇妙な閣議決定が乱発される背景には、現内閣による憲法や国会の軽視、一強のおごり、官僚の過度な忖度などが見え隠れする。安倍政権の問題点が凝縮されているといっても過言ではない。私たち有権者は、事実や論理との整合性をきちんと見極め、閣議決定という「権威付け」に惑わされない目を養う必要がある。中野教授はこう警鐘を鳴らす。

「新聞記事には『○○を閣議決定した』とだけ書かれることが多い。しかし、閣議決定はあくまで内閣の統一見解であり、正義や真実とは限らない。内容にきちんとした批評、検証が加えられなければ、政府にどんどんオルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)を作られる危険性もあります。国民が『政府の方針は正しいはずだ』と思考停止に陥らないように、メディアのチェックが不可欠です」

 閣議決定への「違和感」は、決して侮ってはいけないのだ。(編集部・作田裕史)

AERA 2017年5月15日号