「県民への『償いの心』をもって、事に当たるべきである」

 また、タカ派として知られた梶山静六氏も、「沖縄県民に米軍基地の大きな荷物を背負わせている」と口癖のように話した。

「俺は沖縄には行くことができない。先の大戦のことなどを考えると、沖縄に申し訳なさすぎて向ける顔がないんだ」

 そう漏らしていたのは、後藤田正晴氏だった。他にも、普天間基地の返還を決断した橋本龍太郎氏、沖縄サミット開催に尽力した小渕恵三氏など、沖縄のために奔走した自民党議員は少なくなかった。

●勇ましい発言がウケる

 多くが鬼籍に入ったが、過酷な地上戦があったことを知り、戦後もしばらく米軍統治下に置かれ、日本国憲法すら及ばなかった沖縄の姿を知っていた。

 それが、いまやどうだ。「償い」どころか、辺野古の新基地建設に反対する翁長雄志沖縄県知事に、政権内部から「知事個人に賠償を求めることもあり得る」といった脅しまで飛び出す。

 安倍首相に近い若手議員たちが党本部にベストセラー作家の百田尚樹氏を招き、「(沖縄県民は)沖縄のどっかの島でも中国に取られてしまえば目を覚ます」「沖縄の新聞はつぶさないといけない」などと気勢を上げたことも記憶に新しい。

 自民党の沖縄振興委員長を務めたこともある山崎拓氏に、最近の同党が発信源となる「沖縄差別」について問うと、「思想の貧困だ」との答えが返ってきた。

「攻撃的、排他的で、思慮深さが見られない」

 ある自民党国会議員の秘書が打ち明ける。

「こわいな、と思うときもある。第2次安倍内閣以降、国家主義的な物言いほど党内でのウケがよくなっている。政権に懐疑的な見方をする議員もいないわけではないが、ポスト欲しさで言いたいことも言えない」

●秋葉原で「新たな地平」

 自民党を取り巻く風景も変わった。国政選挙戦の最終日。首相をはじめとする党幹部が「最後のお願い」をする、“マイクおさめ”の場所は、長きにわたって新宿や池袋の主要駅だったが、最近は秋葉原が定番だ。

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