「攻殻機動隊は、脳の意識と身体とが切り離された人間が再び身体を獲得していく物語。本当は私たち普通の人間だって、脳と身体は分離していますよね。毎日の習慣で、自分の身体を自由に動かしている気になっているだけなんです。ところが、何か新しい動きをしようと頭で考え始めた途端、その『自由に動かすこと』ができなくなる」

 義体はその象徴だと押井監督。

「義体でどう歩くか。どう座り、どうたたずむか。その過程をスカーレットは見事に演じた」

 何カ月もかけてトレーニングをして肉体を作ったり、個々のシーンを何十テイクも撮ったりする徹底した映画作りは、ハリウッドならでは。だからこそ、

「攻殻機動隊の世界を実写化することは、ハリウッドでしかできない。ものすごく意味があったと思う」(押井監督)

●これまでと逆の発想

 劇場版アニメの公開からも20年が経ったいま、新しい攻殻機動隊はどんな意味を持つのか。

 人間の心とは何か。機械はゴースト(意識)を持てるのか。そんなテーマを扱ったアーサー・ケストラーの著作『ゴースト・イン・ザ・マシン(機械の中の幽霊)』の影響を受けて、士郎さんは漫画の英語タイトルを「ゴースト・イン・ザ・シェル」と付けたという。

 攻殻機動隊が描いてきたのは、脳や心と身体が切り離された中で、人が自分や世界をどう認識するのかということ。つまり、近代的自我のあり方を問いかけてきた。実際、

「認識の問題は攻殻機動隊の大きなテーマだったし、僕はそれを明確に意識して、この作品をつくってきました」

 と押井監督も話す。

 だが、ハリウッド版にはそれとは正反対のシーンがあった。

 自分の記憶が操作されているのではないかと悩む少佐に、彼女が心を開く数少ない仲間バトーが言い放つ。

「人間を人間たらしめるのは、記憶じゃない。あなたが、何をするかだ」

 押井監督はこう見た。

「ここでは、その人をその人たらしめているのは記憶や意識だという、これまで語られてきた『認識』の問題ではなく、人たるものは何をするべきかという『倫理』の問題で人間というものを語ろうとしている。これまでの攻殻機動隊とは逆で、おもしろいなあと思った。もっとも、本当に哲学的な意味合いを持たせたのか、アメリカ人脚本家にありがちな行動主義的な価値観によるものなのかはわからないけれど」

 スカーレットファンにも哲学好きにも楽しめそうだということだけは、間違いない。

(編集部・長倉克枝)

AERA 2017年4月10日号