「愛国」の根底にある「他人のために」という利他的精神が、「個人を蔑ろにして、国家のために忠誠を尽くす」という方向に一元化され、軍国主義の正当化に利用された苦い過去が日本社会にはある。こうした負の側面には目を向けず、判断力の乏しい子どもたちに、一方の価値観だけを強要するのは問題がある、と山下准教授は指摘する。

 塚本幼稚園で実践されてきた教育勅語の暗唱は象徴的だ。天皇への忠誠を誓う教育勅語は1948年、憲法や教育基本法などの法の精神にもとるとして、衆参両院で排除、失効確認が決議された。にもかかわらず、いまだに教育の唯一の精神的支柱であるかのように捉え、復活を求める声は保守派の間で根強い。

 山下准教授は言う。

「本来の国家主義や天皇主義といった観点で捉えれば、教育勅語は機械的な暗唱の対象でなく、真髄を感得すべきものだったはずです。学園自体がそうした歴史認識を欠き、形だけなぞろうとしてきた可能性もあります」

 塚本幼稚園に子どもを通わせていた元保護者が「忘れられない」と語っていたのが、園のクリスマス会で配られたプレゼントだ。

「子どもと一緒に開けたら、教育勅語が刻印された、瓦せんべいだったんです。味はふつうでしたが、ものすごい違和感でした。この人たちはファッションのツールみたいに何でも『愛国』に絡めたらいいと思っているだけなのかなと思ったんです」

 表層的ともいえる教育内容が一部の「保守」人脈の間でもてはやされ、権威づけられていく背景には何があるのか。

「今は教育にも、『わかりやすさ』が求められる時代です。愛国的なツールを『ファッション』のように用いることで魅力的に映るのかもしれません。私たちも日頃、公共性が大事、地域の絆が大事、などと言っていますが、内実を伴わない『愛国ブーム』とどこが違うのか。じっくり考え、言葉と論理を深める必要があります」(山下准教授)

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