「親のいる長野県から毎週通っていますが、思い切り声が出せてうれしい」(肺がんで5年前に手術したアルトの岩下克世さん、71歳)

「同病の人も多く、ホルモン療法などでつらいこともあるはずだけれど、一緒に歌っていると楽になる」(乳がんを6年前に切って経過を観察中のソプラノ福地園子さん、61歳)

 なかには遠隔地から来て、抗がん剤や放射線の治療を終えた後、練習に参加する人も。実行委員長の佐野武・同副院長によると、練習が始まってから8カ月の間に、病状の変化があった人も何人かいた、という。「治療を始めながら、本番は必ず歌うぞと決めている人もいます。彼らと一緒に『歓喜の歌』を歌えれば本当に素晴らしい」と佐野さん。

 顔ぶれには消化器外科医である武藤徹一郎・がん研有明病院名誉院長(78)もいる。武藤さんは10年前、検査で胃がんが見つかり、内視鏡手術を受けたサバイバー。大学時代に男声合唱の経験もあり、企画の発足にも関わった。バスパートを担当する武藤さんはこう意気込む。

「がんなんて長生きしたら人生についてくる付録みたいなもの。ここに来るとみんな『がんに負けない』という同じ気持ちだ。ぼくの人生で初めて歌う第九の感動を客席に届けたい」

 筆者も胃がんを切ったサバイバーとして参加しているが、患者を含めたこのような交流は初めて。1月末の33回目の練習では、山田マエストロが団員の前で最後に練習を聴いて「いける」と思ったらしく、にっこり笑ってこう言った。

「このままでいきましょう」

 チケットは1万円と高めだが、開催実費を払った残りは、がん研への寄付となる。(科学ジャーナリスト・内村直之)

AERA 2017年3月27日号