「国際的な法的根拠や保険制度の見直しとともに、システムやプログラムも詰めなければいけない課題がたくさんある。ドライバーが心臓発作など不測の事態に陥ったときに助けてくれるのが自動運転の安全性のはずなのに、レベル3は最後の判断を人に委ねている。また、レベル4以上の場合でも事故が不可避の場合に、車の乗員と車外の人や環境のどちらの安全を優先するのかなどが間違いなく問題になってきます」(野元デスク)

 さらに、自動運転の割合が増えたとしても、人が運転する車が完全に姿を消すことなど想像がつかない。公道上で両者が混在するとどうなるのか。

「メーカーの実験走行で首都高速での自動運転に同乗したとき、合流ポイントでトラックの運転手が目で合図しながら手を上げて入ろうとしたのを意に介さず、減速もしなかったのでぶつかりそうになりました。車の運転は実は、こういうアイコンタクトのような情報のやり取りが非常に重要なんです」(同)

 自動運転自動車を見た運転者がいたずら心でわざと急な割り込みで反応を確かめるようなケースも出てくるかもしれない。

 想定できるあらゆる前提条件をクリアし、自動運転時代が到来して事故率が減っても、事故やトラブルはなくならないし刑事・民事の裁判のあり方もまた変容を迫られる。

「自動運転専門に事故原因の分析を行う能力を備えた公的で第三者的な鑑定機関が複数必要になる。専門的立証のためには医療過誤訴訟のように、双方が選んだ専門家同士と裁判官が加わるカンファレンス形式が適当かもしれません」(鬼頭弁護士)

 利便性と安全性の向上と、運転する喜び、セーフティーネット。多様な価値観の中で自動運転が未来の扉を開こうとしているのは、間違いなさそうだ。

(編集部・大平誠)

AERA 2017年3月6日号