亡くなった我が子を抱っこしたり、写真を撮ったりするグリーフケアが広く知られるようになったのはそれから十数年後だ。それまでは、「思いが残るから」といった理由で母親を赤ちゃんに会わせないことが一般的だった。

 舟山さんはその後、同センターに移り、親子の時間を大切に過ごしてもらうことが、悲しみを乗り越える力になるのだと気づき、トラブルなく生まれた赤ちゃんと同じように接している。

 神奈川県の森本麻理さん(38)は10年に同センターで長男の和也くんを出産。和也くんは自発呼吸が難しく、翌日息を引き取った。

 亡くなった子はすぐに火葬されてしまうものかと思っていたが、ほかの赤ちゃんと同じように母子同室で過ごし、病室へ来る看護師や助産師が皆、「かわいいね」「抱っこしてもいい?」と声をかけてくれる。森本さんは、「看護師さんたちは、この子が亡くなったことを知らないのだろうか」とさえ思った。看護師に勧められ、亡くなった後に沐浴し、写真もたくさん残した。

 昨年、「グリーフケア・アドバイザー2級」の講習を受け、気づいた。

「入院中にスタッフの方々のケアのおかげで和くんをきちんと天国に送ることができたからこそ、私は前を向けるようになったんだ」

 9年前、次男の健太郎くんを心臓や肺の病気のため産後2時間余りで亡くした横浜市の森田弘恵さん(50)は、中学2年になる長男を育てながらPTA会長や民生委員などを引き受けてきた。

「もしあの子が生きていたら、今頃病院通いで忙しかった。健太郎がくれたたくさんの時間を無駄にせず、誰かのために役立てたいと思ったんです」

●弔いというのは残された人のもの

 子どもの死を生きる力に変えられた理由は、満足いく弔いだ。

 産後、退院までの1週間、病室で健太郎くんと過ごした。その間、ベビードレス、肌着、手袋、靴下、そして小さなウサギのマスコットを手縫いでこしらえた。退院のとき、看護師に「ここまでそろえた人はいないよ」と言われ、息子にできる限りのことをやってあげられたと思えた。森田さんは言う。

「弔いというのは、残された人のものなんでしょうね」

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