伊藤計劃デビュー作の『虐殺器官』のアニメ映画版が劇場公開中だ。テロの脅威に対して、安全のために個人情報が厳密に管理された近未来を描く(Project Itoh/GENOCIDAL ORGAN)
伊藤計劃デビュー作の『虐殺器官』のアニメ映画版が劇場公開中だ。テロの脅威に対して、安全のために個人情報が厳密に管理された近未来を描く(Project Itoh/GENOCIDAL ORGAN)
早川書房では1月上旬からディストピア小説フェアを開催している(東京・台場のくまざわ書店アクアシティお台場店)(写真:早川書房提供)
早川書房では1月上旬からディストピア小説フェアを開催している(東京・台場のくまざわ書店アクアシティお台場店)(写真:早川書房提供)
新井見枝香さんおすすめのディストピア小説は、『殺人出産』(2014年)、セックスも家族も消えていく世界を描く『消滅世界』(15年)。いずれも村田沙耶香の作品(撮影/写真部・大野洋介)
新井見枝香さんおすすめのディストピア小説は、『殺人出産』(2014年)、セックスも家族も消えていく世界を描く『消滅世界』(15年)。いずれも村田沙耶香の作品(撮影/写真部・大野洋介)

 個人の自由が制限された全体主義的な近未来の管理社会を描いた「ディストピア小説」。『1984年』などの古典作品から、2009年に夭折した作家・伊藤計劃の作品まで、今また注目されている。

 ディストピア小説の代表といえる、1949年に出版された英作家ジョージ・オーウェルの『1984年』。翻訳版を出版している早川書房では、「この半年で重版が続き、4万部が売れました」と同社執行役員の山口晶さんは話す。

 小説で描かれる近未来は、「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる権力者により支配される全体主義国家が舞台だ。米国ではトランプ政権誕生後に現状と似ているとしてベストセラーとなっている。日本でも同様だが、実はその前から売れ行きが伸びていたと山口さんは話す。

 山口さんによると、現在の版になった2009年から16年までの7年間の発行部数は22万部。72年に出版されたその前の版は08年までの36年間で58万部の売れ行きだったことを考えると、ここ数年の伸びが目立つ。

「09~10年に出版された村上春樹氏の『1Q84』の影響で6万部が売れましたが、残りの16万部は、12年に安倍政権になってから、特定秘密保護法や安保法制といった政策が話題になるたびに売れました。日本のほうがアメリカよりも先にディストピア小説が合うようになっていたと思います」(山口さん)

●68年前に現在を予言

『1984年』は68年前に書かれた小説だが、現在の状況にとてもよく似ている。たとえば『1984年』の主人公は党に指示されるままに記録を改竄・抹消するのが仕事だ。トランプ政権の大統領顧問は、事実を捻じ曲げ捏造した情報を「オルタナティブ・ファクト」と呼んだが、これは『1984年』に登場する、国民の論理的思考能力を低下させる言語「ニュースピーク」を彷彿させる。

「権力者は自分のやりたいことをするために様々な詐術、トリック、ごまかしを使います。オーウェルは警告としてディストピア小説を書きました。読むことで知恵がついて、ニュースをちょっと批判的に見るとか、政府の発表は本当にそうか、といった複眼的な見方ができるようになると思います」(山口さん)

 1932年に発表された英作家オルダス・ハックスリーの『すばらしい新世界』などの訳書がある翻訳者でSF批評家の大森望さんは、安倍政権やトランプ政権といった政治の話題にかかわらず、そもそもSF作品として最近ディストピア小説は根強い人気があると話す。

「私が講師を務めるSF講座でSFのイメージを質問したところ、多くが『AI(人工知能)』と『ディストピア』を挙げました。これが今のSFのリアリティーなんだと思います」(大森さん)

 SFばかりではない。小説全般にディストピア小説の人気は高まっている。文芸作品に詳しい三省堂書店の新井見枝香さんはこう話す。

「今『1984年』などが売れていますが、SFファン以外にも読まれています。ディストピア小説は、実際にありそうなおそろしい未来を描いています。救いもなく、本来なら嫌なものだけれど、実はそのほうがリアリティーがあって、今の気分に合い共感を呼んでいる。以前は、エンタメ作品としては勧善懲悪や明るい話が好まれましたが、村田沙耶香さんの『殺人出産』(14年)が話題になってから書店の対応が変わってきたと思います」

『殺人出産』は10人産めば合法的に1人殺してよいという社会を描く。

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