レバノン東部のベカー高原にある私設難民キャンプで暮らす子どもたち。このキャンプでは、30人近くいる学齢期の子どもは誰も学校に通っていない(撮影/中東ジャーナリスト・川上泰徳)
レバノン東部のベカー高原にある私設難民キャンプで暮らす子どもたち。このキャンプでは、30人近くいる学齢期の子どもは誰も学校に通っていない(撮影/中東ジャーナリスト・川上泰徳)

 冬には雪も降るレバノン東部のベカー高原。青や白のビニールシートにくるまれた小屋が固まって立つ区画が、農地の間に点在する。今春で内戦が始まって丸6年になる隣国シリアから、逃れてきた人たちが暮らす難民キャンプである。

 レバノンには、トルコやヨルダンのように国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設営した公式の難民キャンプはなく、難民たちが個別につくったキャンプが、国内2千カ所に分散している。

 その一つを訪ねた。

 シリアから2012年1月に逃れてきた11家族が、共同で農地を借りて住み着いた小さな私設キャンプだ。そこに住むユスラ・ハッタービアさん(32)は聴覚障害を持つ夫と、6歳の長男と一緒に暮らす。シリアではダマスカス郊外に住んでいた。

 11年夏、政権軍と反政府勢力の衝突が始まった。

「いきなり銃撃戦が始まり、政府が地域を封鎖しました。逃げ出すしかありませんでした」

 シリア国内の避難場所に8カ月間とどまったものの、安全な場所がなかったため、親類を集めて出国した。この5年の間に2家族が国連のルートで欧州に難民として受け入れられたが、なお9家族40人以上が残っている。その中に、5歳から18歳までの学齢期の子どもが30人近くいて、誰も学校に行っていないという。

 ハッタービアさんの息子も、難民になってから就学年齢に達した。彼女は言う。

「このまま教育を受けないでいると、息子の将来が心配だ」

●キャンプで続く悪循環

 夫には障害があり働くことができないため、シリア難民を支援する市民組織が近くの難民キャンプにつくったパン屋で働いて、月200ドルを得ている。9家族共同で借りた土地代の分担は毎月40ドル。飲料水も給水車で売りに来る業者から買っている。
「私の働きだけでは、食費と電気代、飲料水で終わってしまう。夫の薬代も出ない。いつまでこんな生活が続くのか」

 と言い、声を詰まらせた。

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