オバマ大統領は、記念館訪問後の所感で、1941年12月7日(現地時間)朝、攻撃前に何が起きていたか、描写した。


「水は、温かく、信じられないほど青かった。水夫たちは、ホールで食事をとるか、教会に行く準備をしていた。皆がきれいなズボンとTシャツ姿だった」

 その平和な湾が、「一生忘れない」(生存者)爆音と、旧日本軍の戦闘機も視界が奪われるほどの黒い煙に覆われた。戦艦オクラホマは転覆し、閉じ込められた兵士400人以上が命を落とした。

●日本語演説で混乱も

『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』(ハヤカワ文庫)によると、真珠湾攻撃に先立つ39年10月の米国内での世論調査では、95%の人が、米国が戦争に参加しないことを望んでいた。「奇襲」はまさに、希望を打ち破り、米国民を戦争に真っ向から向き合わせることになる。

 安倍首相は所感で、こう述べた。

「戦争の惨禍は、二度と繰り返してはならない」

「私たち(日米)を結びつけたものは、寛容の心がもたらした『和解の力』です。私が、ここパールハーバーで、オバマ大統領とともに、世界の人々に対して訴えたいもの。それは、この和解の力です」

 強い思いがにじみ出た文言だった。しかし、以前ニューヨークやワシントンでは英語で演説をした安倍首相が、この日の原稿は日本語。内容が即座にわからない海外メディアは戸惑い、右往左往した。地元ニュース番組も夕方、安倍首相の演説はほんのわずかしか流さず、首相のメッセージが米国人に伝わったのか疑問が残った。

 安倍首相とオバマ大統領が献花した犠牲者の名前の中には、明らかに日系人とみられる民間人のものが含まれる。

 開戦当時、ハワイの日系人人口は、15万人以上にも上った。真珠湾奇襲ののち、多くが敵国人として逮捕・拘留という苦汁をなめ、これを免れた住民にも戒厳令が敷かれた。

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