「しかしだからといって、A級戦犯に何の責任もなかったかと言えばそれは違うでしょう。日本人が主体的に戦争責任の所在を明らかにしない限り、戦後は終わったとは言えない」

 かつては「国営」だった靖国神社。現在は単立の宗教法人とはいえ、神社本庁には属さず、特別な地位を与えられている。

 大阪大学名誉教授の川村邦光氏は編著者を務めた『戦死者のゆくえ』(03年、青弓社)で靖国神社についてこう論述している。

「国家による無謀な侵略戦争が遂行され、戦死者と遺族が増えれば増えるほど、靖国神社は祭神も『人民の信仰帰依』も増大させ、肥え太ることができた。近代に出現した天皇制と帝国主義、そして戦死者、まさしくそれが靖国神社の基礎、いわば肥やしとなったのである」

 今の日本で戦死者が出ることがあっても、「天皇の軍隊」ではない自衛隊員が、民間の宗教法人の一つにすぎない靖国神社に合祀されるのは無理がある。

●靖国に新たな「戦死者」

 靖国神社は本誌の質問に、国家に認定された戦死者などを合祀してきた方針を今後も変えないとした上で、「将来の対応について発言しない」と自衛官合祀の可能性を否定しなかった。

 川村氏はこう説く。

「靖国はやはり天皇と国家のために戦死した者を顕彰するための宗教施設であり、ナショナリズムや排外主義をあおる側面があるのは否めません」

 仮に自衛隊の国連平和維持活動(PKO)部隊に死者が出た場合、「国葬」や各地の護国神社に合祀される可能性がある。靖国神社合祀の動きも出てくるかもしれない。そのとき、靖国神社は日本国、国際社会の「平和」のために貢献した戦死者を追悼・顕彰する国家護持の役割を担うべき施設として、「天皇が参拝せざるを得ない状況」が生まれる、と川村氏は予測する。

 尖閣諸島周辺でも同様に、中国との衝突で自衛隊員が戦死する事態になれば、「国益を守れ」「国家の体面を汚すのは許せない」といった声が盛り上がり、「一挙に国土防衛の全体主義へと転換するのではないか」。そんな懸念が日本社会にはぬぐえない、と川村氏は言う。

 今の日本には、歴史的な「既視感」も浮かぶ。政府は明治期に日本に「編入」した沖縄を再び力で抑え込み、「国防の最前線」に位置付けつつある。このことは、近代日本の内側をえぐり、一石を投じようとする亀井氏や古賀氏の主張が置き去りにされる状況と必ずしも無縁と言えないのではないか。

 18年には明治維新150周年を迎える。これを内向きの祝賀イベントにとどめることなく、重層的な視点で「近代」を捉え直す機会にするべきだろう。(編集部・渡辺豪)

AERA 2017年1月16日号

著者プロフィールを見る
渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

渡辺豪の記事一覧はこちら