カフェオーナー パティシエ小林敦司(こばやしあつし)さん(43)/1972年、東京都生まれ。90年広島入り。2001年にロッテに移籍するも1年で引退。11年、代官山に「2-3Cafe Dining」をオープン。自家製ベイクドチーズケーキや生パスタ、トマト鍋などで人気を集める
カフェオーナー パティシエ小林敦司(こばやしあつし)さん(43)/1972年、東京都生まれ。90年広島入り。2001年にロッテに移籍するも1年で引退。11年、代官山に「2-3Cafe Dining」をオープン。自家製ベイクドチーズケーキや生パスタ、トマト鍋などで人気を集める
相撲漫画家 琴剣淳弥(ことつるぎじゅんや)さん(56)/1960年、福岡県生まれ。本名は宮田登(みやた・のぼる)。86年秋場所で引退すると、以後自らの相撲経験を元にした相撲漫画を多く執筆。現在はスポーツ報知などで連載6本を持つ
相撲漫画家 琴剣淳弥(ことつるぎじゅんや)さん(56)/1960年、福岡県生まれ。本名は宮田登(みやた・のぼる)。86年秋場所で引退すると、以後自らの相撲経験を元にした相撲漫画を多く執筆。現在はスポーツ報知などで連載6本を持つ
シルク・ドゥ・ソレイユパフォーマー シンクロナイズド・スイミングミックスデュエット アメリカ代表北尾佳奈子(きたおかなこ)さん(34)/1982年、京都府生まれ。9歳でシンクロをはじめ、20歳でシンクロ日本代表。2005年に競技から引退後、アメリカのクラブチームを経て、06年に「シルク・ドゥ・ソレイユ」入りしパフォーマーに
シルク・ドゥ・ソレイユパフォーマー シンクロナイズド・スイミングミックスデュエット アメリカ代表北尾佳奈子(きたおかなこ)さん(34)/1982年、京都府生まれ。9歳でシンクロをはじめ、20歳でシンクロ日本代表。2005年に競技から引退後、アメリカのクラブチームを経て、06年に「シルク・ドゥ・ソレイユ」入りしパフォーマーに

 2020年東京五輪に向けて現役トップアスリートの動向に注目が集まるが、アスリートの命は決して長くない。残りの人生のほうが長いことを考えれば、勝負はまだ先にある。

 プロであれ、オリンピアンであれ、引退したスポーツ選手のうち、指導者や解説者になれるのは、ほんの一握りのスターだけ。日の当たる第一線を退いた多くの元選手は、右も左も分からない現実社会に投げ出され、社会人としての一歩を踏み出した途端に苦労するというのはよく聞く話である。

 しかし、現役時代と異なる道に進み成功している人も少なくない。プロ野球投手からパティシエに、力士から漫画家にと驚きの転身を遂げた人もいれば、シンクロナイズド・スイミングから「シルク・ドゥ・ソレイユ」のパフォーマーへと、それまでのキャリアを生かしてステップアップした人まで道はさまざま。すべての人に共通するのは好きなことへの思いや強い意志だが、信じた道を突き進めば努力次第で道は開けるのか。

 おしゃれなカフェや雑貨店が並ぶ東京・代官山。その路地の一角でカフェ「2-3Cafe Dinig」を営むのは、元プロ野球選手で広島の投手だった小林敦司さん(43)である。

「引退後に飲食店をやる人は多いですが、カフェでケーキを作っているのはさすがに僕だけじゃないですか(笑)」

●プロ11年でわずか1勝

 小林さんはオーナーでありながら、パティシエとしてケーキも作れば料理人としてパスタも作るなど、店に関わることはすべてこなすという。

「元選手で経営だけをやる人も多いですが、スタッフなどとのトラブルも多いと思うんです。すべて自分でできればそういう問題もないだろうし、人に物も言えていいかなと思ったんです」

 小林さんは1990年にドラフト5位で広島に入団。2001年にはロッテに移籍するも、プロ11年でわずか1勝に終わった。それでも99年、東京ドームで巨人時代の清原和博を相手に頭部死球を与え乱闘寸前になったときの投手といえば、思い出す人は多いかもしれない。

 引退後は、父親の経営する和食店を継ぐつもりだった。だが、実際に手伝いを始めると親子の甘えが出てしまったのを嫌って、カフェの道に。

「(経営者の)息子が言いたいことを言ってしまえば、ほかのスタッフに迷惑がかかるじゃないですか。そんなとき母も別のお店をやっていたのですが、夜の仕事がしんどくてカフェをやりたいと言い出したので、それならそっちを手伝おうと思ったんです。当時は料理も何もできないですよ。でも、カフェを出すならケーキぐらい作れたほうがいいかなと思い、ケーキ店でアルバイトを始めたんです」

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