●台上がりの爽快感

 19時半、中洲の目抜き通り・中洲大通りで、さくらさんの台上がりの順番が回ってきた。「台上がりの爽快感がたまらんのよね」と言っていたさくらさんが台上がりを果たした。さくらさんのほかにも病院勤務という60代や、山口県で焼き肉店を経営しているという70歳が、台上がりでとびきりの笑顔を見せた。

 中洲の街に夜の帳(とばり)が下りた。ネオンの色が冴える。最初はぎこちなかった女神輿の足取りがきれいに揃い、「そいや」のかけ声はますます弾む。ぐるりと歩いても15分ほどで一周できるくらいのコンパクトな中洲を女神輿が練り歩き、見物客が通りを埋め尽くす。

 20時半。混雑する中洲交番の角は女神輿の見せ場のひとつだ。台上がりを務める田中創(はじめ)さんは、中洲のスタンドバーで働く「中洲の女(ひと)」だ。田中さんの晴れ舞台を見に訪れたお店の客から次々に「はじめ!」と声がかかる。女神輿が斜めに揺れながら角を曲がる。神輿の上で腰を落とした姿のキマった田中さんの笑顔が弾ける。

「本来、女性は中洲の華」と、中洲育ちの川原さんは言う。中洲が賑わいのある街であり続けるためには女性が輝いていなくてはならない。だが、シングルマザーや経済的な問題など事情を抱えている人が多く、女性をモノ扱いするたちの悪い酔客のあしらいにイヤな思いをする夜もしょっちゅうだ。そんな女性たちが主役となり弾ける女神輿のこの日、神輿の上げ下げや移動など運営を脇から支えるのは、博多祇園山笠中洲流の男性たちである。

 中洲が男性にとって憧れの街だった昭和の頃、中洲で酒の飲み方を教わったという人は多い。金を持たない若者が「出世払いでいいけん」と、スナックのママにただで飲ませてもらった、といった思い出もよく聞く。

●九州人の情の濃さ

 キャバクラや時間制の営業形態をとる店が増え、中洲に人情はなくなったと嘆く声もあるが、中洲の物件を専門に扱う福一不動産社長の古川隆さんは、心配していない。

「あるスナックの出店をお手伝いしたとします。その店のママのもとで働いていたスタッフが独立する時、大抵はママとの歴史を尊重して私どもを指名してくれます。九州人の情の濃さは、簡単に薄まるものではない」

 中洲の隣には20年をかけて開発した複合商業施設・キャナルシティ博多がアジアからの観光客を引き寄せる。キャナルシティと中洲が隣接していることの意味を、キャナルシティを運営する福岡地所の広報・望月未和さんはこう話した。

「屋台、ネオン、人情など、外の人が博多という言葉に求めるものが凝縮されて残っているのが中洲。街には陰影があったほうが魅力的。新しい街・キャナルと中洲という昭和の気配のコントラストは相乗効果」

 22時、女神輿は國廣神社の前に戻った。一人残らず「台上がり」をした200人の女性たちは晴れ晴れとしていた。(ノンフィクションライター・三宅玲子)

AERA 2016年11月21日号