書いてある文字は「きゃふんきゃふん」という鳴き声。「きゃふん」って、確かにそう聞こえるかも? 擬音語のセンスはマンガを連想させる。

「ヘタウマに見えるかもしれないけど、それだけじゃない。まず下描きなしで、いきなり描いて、紙の中にきちんと収めるのって大変ですよ」(同)

 確かに何げないようで、人物の配置、構図などがピタリと決まって、ぶれがない。自在に押された「仙がい」の朱印も楽しい。

「ふざけて墨絵を描くときに、まず線を引いてみて、顔に見えるから顔にしちゃおうとか、決めずに描くのが面白い。頭の中に描きたい理想があって、脳が手をコントロールして完成させていくのとは逆の回路。手が描いちゃったから頭がそれを解釈するというか。頭と肉体が一体化している感じがします」

 とは、画伯の解説。

 駆け足で紹介してきたが、展覧会には禅画のみならず、当時の博多の風俗を題材にしたものなど、たくさんの作品が展示されている。きっとお気に入りの仙がいが見つかるはず(ちなみに、永青文庫でも「仙がいワールド」を開催中だ)。

 さて、もっとも画伯の印象に残ったのは何だったのだろうか。

「仙がいさんの生きかたや『老人六歌仙画賛』なんかを見て、老後について考えちゃった。同時代にいた(葛飾)北斎とはまったく違う『仙がい型』とでも呼びたいような老人像だよね。幸せな老後のためには、可愛い老人になったほうがいいのは、研究でも明らかになっている。じゃあどうすればいいのか、その秘訣が仙がいさんにはある気がしました(笑)」

(ライター・矢内裕子)

※「仙がい」の「がい」はがんだれに土ふたつ

AERA 2016年11月14日号