画・しりあがり寿/仙がいの「指月布袋画賛」をモチーフに、しりあがり寿画伯が描いた布袋さんの絵(仙がいの絵は出光美術館のHPでご覧いただけます)
画・しりあがり寿/仙がいの「指月布袋画賛」をモチーフに、しりあがり寿画伯が描いた布袋さんの絵(仙がいの絵は出光美術館のHPでご覧いただけます)
「ゆるかわ禅画」の代表と言われる「犬図」を、しりあがり寿画伯が描いたらこうなった! 人面犬じゃないですよ
「ゆるかわ禅画」の代表と言われる「犬図」を、しりあがり寿画伯が描いたらこうなった! 人面犬じゃないですよ
仙がいの代表作「◯△□」(出光美術館蔵)の前で△を作ってみせるしりあがり寿「画伯」(撮影/写真部・堀内慶太郎)
仙がいの代表作「◯△□」(出光美術館蔵)の前で△を作ってみせるしりあがり寿「画伯」(撮影/写真部・堀内慶太郎)

 脱力した水墨画で、見る者の心を和ませる仙がい(※)。国内の3大コレクションの名作が一堂に会した30年ぶりの大回顧展「大仙がい展」が11月13日まで、東京・出光美術館で開催された。当代随一の「ゆるカワ」絵の描き手と、その魅力を探りに出かけた。

 笑いとユーモアを絵にすることで、禅の教えを広めた仙がいは、江戸時代中ほどの1750年、美濃国(現・岐阜県)に生まれた。11歳のときに得度(とくど)、出家し、臨済宗の厳しい修行を積む。40歳で日本最古の禅寺である福岡・博多の聖福寺(しょうふくじ)の住持となってからは、荒廃した名刹(めいさつ)を立て直すことに尽力した。

 訪ねてくる人々を迎え入れる温かさに加え、地位や名誉を求めず一生、黒衣(こくえ)の僧として過ごした潔さなどから、今でも「博多の仙がいさん」と呼ばれ、慕われている存在だ。

●絵筆とったのは還暦後

 仙がいが本格的に筆をとるようになったのは、還暦を過ぎてからと遅い。弟子の湛元(たんげん)に後を譲り、隠棲(いんせい)してからだった。「多くの人に禅の教えを広めたい」という思いを、ユーモアあふれる作品を描くことでかなえようとしたのだ。

 そんな仙がいの絵を見た多くの人が、しりあがり寿さん(以下、画伯)のマンガを連想するようだ。仙がいの展覧会情報がSNSで流れると、いつの間にか「しりあがり寿のような」という表現がネットにあふれた。

 画伯といえば、シュールなギャグとともに哲学的なテーマをとりあげるかと思えば、震災後すぐに発表された『あの日からのマンガ』は、不安な日々を送る私たちに、あらためてマンガの力を教えてくれた。まさに「現代の仙がいさん」と呼びたくなる存在だ。

 そんな画伯と大仙がい展を訪れた。どんな発見があるだろうか。

 会場では、まず年代順に作品が並べられ、絵の変化が一目でわかるようになっている。仙がいは画僧ではなかったが、きちんと絵を学んでいたことがわかる。いきなりゆるカワ絵を描いていたわけではないのだ。

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