「伏見の後輩たちは、彼のスキルフルなプレーを生で見て、ビデオで見て、彼を“可視化”することで育ってきたんだから」

 平尾さんが日本ラグビーに注いだ光をどう継承していくか。昨年W杯で代表が活躍した際の熱が薄れつつあるなか、人気回復は大きな課題になる。

「残された僕らが何をするか。荷物は重いです」(岩出さん)

 訃報が明らかになった20日午後、プロ野球ドラフト会議の取材に詰めていた報道関係者からは、10年前に急死した元日本代表監督の宿沢広朗(しゅくざわひろあき)さんの名前も同時に挙がった。

「宿沢さんを失ったのに、平尾さんまで……」

 日本ラグビーの頭脳といわれその発展に尽くそうとした宿沢さんは、平尾さんをジャパンのキャプテンに抜擢。1989年にスコットランドから国際ラグビーボードメンバー戦初勝利、91年W杯でも歴史的な初白星を挙げた。

 宿沢さんが94年に早稲田大学を率いたとき、平尾さんの話もよく聞かされた。

「平尾ってさ、ラグビーは日本一うまい、そのうえハンサムで頭もいい。性格もいい。完全無欠なんだよ。嫌になっちゃうでしょう。それで、もしかしたら音痴なんじゃないかって思って、カラオケに連れていったの」

 先に宿沢さんが「なごり雪」を歌い、平尾さんの番になった。画面に曲名「いとしのエリー」が現れた時点で、宿沢さんはヤバいと思った。このサザンオールスターズの名曲を「下手くそに歌うヤツはいないから」だ。

「平尾は桑田(佳祐)さんよりうまかったかもしれない(笑)」

 学年で12年離れている平尾さんは、宿沢さんを「おっさん」と呼び、何でも言い合った。両雄は「日本ラグビーの発展」という志を共有し、深い絆で結ばれていた。

 天国でのラグビー談議。聞けないのが無念でならない。(ライター・島沢優子)

AERA 2016年10月31日号