──鳩山政権下の10年に打開策を提起し、米側への説得に乗り出したそうですが。

秋山:私はすでに退官していましたが、ときの首相が「最低でも県外」と言っている。普天間問題にかかわってきた元官僚として、どうしたらいいのかと考えをめぐらし、沖縄近海の領海外なら「最低でも県外」をかろうじて満たせると思ったのです。領海外なら知事の権限である「公有水面」の埋め立ても適用外で、法手続き面では「知事の合意」も必要ありません。頭に描いていたのは半潜水型という、沖縄海洋博跡地にあったアクアポリス(※注3)のようなものでした。

 日本国内で動いてもつぶされると思いましたので、まず米国に持ち込みました。クリントン政権で国防次官補を務めたジョセフ・ナイは非常に興味を持ち、当時オバマ政権で国務次官補を務めていたカート・キャンベルにナイがすぐさま電話しました。キャンベルは浮体式の脆弱性に難色を示したようでした。

 ワシントンでは、政権に影響力のある米外交問題評議会上級研究員のシーラ・スミスに話しました。しかし政府内にサーキュレートされ、海兵隊に知られたからだと思うのですが、あっという間につぶされました。

●20年間を振り返って

──返還合意後の20年をどうご覧になりますか。

秋山:やはり沖縄の人たち、あるいは沖縄の政治家にとって、県内に代替施設を造るというのは基本的には反対なわけですよね。民主政治の下で政治家も反対しないと当選しないというのは、やはり沖縄の人たちが基本的には反対だということだと思います。

──東京からは「受け入れ賛成」と見えた沖縄の政治家も、「期限付き」など常に条件をつけていました。

秋山:中央政府のほうがそこを重視しなかったきらいがあります。98年に就任した稲嶺恵一知事が受け入れ条件に掲げた「使用期限15年」の問題など、米国政府のことを考えれば、とても受けないだろうというのが東京の反応。僕自身もそうでした。ただ、それが地元のリーダーの付けた条件だったら、もっと重く考えないといけなかったのではと思います。結局、政府内では「米国を説得するのはとても難しい」という声が勝ってしまった。普天間が今のままという状態は、米側は望んでいないと思います。次にまた航空機事故でもあれば、絶対に沖縄にいられなくなるという危機感はあるはずです。

 普天間から動きたいという意思はある。しかし一方で辺野古は行き詰まっている。ここまでくると、政府は現行案を引っ込めるわけにはいかないでしょうし、沖縄は絶対反対ということになる。何か知恵が必要になるかもしれません。

(構成/編集部・渡辺豪)

※注1
2006年5月の「再編実施のための日米のロードマップ」で、V字形の滑走路2本からなる全長1800メートルの案で日米が合意。米軍の強襲揚陸艦が接岸できる港湾施設も付帯する。

※注2
キャンプ・シュワブ沖の米軍の海上基地構想を描いた「海軍施設マスタープラン」は、米海軍から調査を委託された米調査会社が66年に作成。埋め立て式の滑走路や大型港湾施設などを建設する大規模な海上基地構想で、核兵器の海上輸送も視野に、前方展開強化のための青写真が描かれている。

※注3
沖縄の日本復帰を記念して開かれた沖縄国際海洋博覧会(75~76年)のシンボルとして、日本政府が出展した「半潜水型浮遊式海洋構造物」。未来の海上都市をイメージして建造された。老朽化に伴い、2000年10月に撤去、解体された。

AERA 2016年9月5日号

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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