「移民・難民は、結核を米国に持ってくる!」

 すると布袋の若者の一人が、涙声で言い返した。

「僕はメキシコ移民の1世だ。自分の家族のことを、犯罪者だ、強姦魔だ、と言われていいはずがない」

 その横で、赤いヒジャブ(イスラム女性が髪を覆う布)をかぶった高校生ソンドス・ミシャル(17)が、静かに人々に語りかけていた。トランプは、イスラム教徒の入国禁止を提案している。

「私たちイスラム教徒に対する逆風に耐えきれず、市民団体に頼んで、ここに連れてきてもらいました。8歳でパレスチナから米国に来て、9年間、何の問題もなく暮らしてきました。でも、最近の私たちへの憎悪と、それが引き起こすショックには耐えられません。宗教が違っても、同じ人間なのだと、私たちはトランプ氏が言う『化け物』ではないのだと、多くの人に訴えたいんです」

 混沌としたクリーブランド市内の複数のデモ隊の中で、何度も険悪な雰囲気をつくり出し、同市警に取り囲まれたのは、キリスト教関連団体だった。異教徒、移民、そして彼らが「低俗」と見なす人々に対する憎悪は、大会期間中、最も激しさを増した。

 ケンタッキー州の箱舟博物館を訪れる前、記者はミズーリ州インディペンデンス(人口12万1千人)という街に行った。広島・長崎への原爆投下の決断を下した第33代大統領ハリー・トルーマン(民主党、1884~1972)が育った、中西部の物流の拠点だ。

●「全決定に責任を持つ」トランプは宣言できるか

 トルーマンは最後の高卒大統領として知られる。若いころ銀行員の職を捨て、家族のために中西部のつらい農場生活を選んだ。保守的な中西部の出身ながら、有色人種の人権を認めようという公民権運動を初めて支持した大統領でもある。先代のフランクリン・ルーズベルトが第2次世界大戦中に4選を果たしたものの終戦直前に急死し、副大統領だったトルーマンが昇格した。就任4カ月で原爆投下を決断するという、皮肉な運命に弄ばれた大統領でもある。

 記者は、インディペンデンスにあるトルーマン大統領図書館を訪れた。訪問者を最初に迎える展示物が、“The buck stops here”と書かれた木製の札だ。buckは雄鹿という意味の単語だが、ポーカーゲームではディーラーポジションを示すボタンのことで、そこから「責任」という意味でも使われる。つまり、すべての決定に大統領が責任を持つという宣言で、トルーマンの執務机に置かれていた。39代大統領ジミー・カーター(民主党、1924~)の執務机にも置かれ、カーター、レーガン、オバマら民主・共和両党の歴代大統領が演説でこれを引用したという。大統領職の重さを言い表した名言なのだろう。

 記者もその札を見たとき、ある種の衝撃を受けた。そして思った。はたしてこれほど重みのある札を、トランプがホワイトハウスの執務机に置けるだろうか、と。

 オクラホマ州に始まり、オハイオ州の共和党大会、そして激戦地ペンシルベニア州の民主党大会へと駆け抜けた米国横断の旅。そこで出会った有権者たちは、日本人がよく行くニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコなどでは絶対に交わることのない人々だ。白人が多く、信心深く、排他的で、深い葛藤を抱えた彼ら・彼女たちが、11月の本選挙で、「トランプ大統領」を誕生させるのか。中西部の「赤い州」から目が離せない。(文中敬称略)

(ジャーナリスト・津山恵子)

AERA 2016年8月15日号