平野は踊っていないときも、まわりのダンサーを間近で見て、とことん表現を追究した。プリンシパルに任命されるのは20代半ばが多いなか、平野は30歳を過ぎて異例の昇格。王子から「フランケンシュタイン」の人造人間まで、幅広い役を与えられるようになっていた。平野は言う。

「さまざまな役が与えられるようになったことで、自分にも表現力がついたのだと、自信を持って言えるようになりました」 高田と平野だけではない。この数年、日本のバレエダンサーが、世界で目覚ましい活躍をみせている。

 2013年には、当時19歳だった石井久美子が、ロシアのマリインスキー・バレエに日本人として初めて正式入団した。ニュージーランド人の父を持つオニール八菜も同じく13年にパリ・オペラ座バレエ団に入団。以来、毎年昇格試験に合格し、昨年、プルミエール・ダンスーズに上り詰め、最高位であるエトワールにあと一つと迫っている。ロイヤル・バレエ団には、高田、平野のほかに5人もの日本出身のダンサーが在籍する。

●海外での経験が大きい

 なぜ、日本のバレエダンサーは、こんなにも世界で活躍できるようになったのか。

 日本バレエ界の“開拓者”である、吉田都を訪ねた。吉田は、ロイヤル・バレエ団で約15年間、プリンシパルを務めた。自身が、ローザンヌ国際バレエコンクールを経て、ロイヤル・バレエ・スクールに留学したのは、83年のこと。当時は、日本人はおろか、東洋人も見当たらなかった。

「クラスにはそもそも、“外国人”がいなかったですね。13人のクラスで、イギリス人のなかに、外国人は私一人、という状況でした」

 ローザンヌ国際コンクールでは、審査員を3度務めた。若き日本のダンサーを間近で見るなかで、明らかに「変わった」と感じることがある。

 一つは、プロポーション。平野とロイヤル・バレエ団での在籍期間が重なる吉田曰く、身長185センチの平野は、「バレエ団のなかでも、最も大きいダンサーの一人」。高田についても、日本人離れしたプロポーションだと感じている。

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