●日本人ダンサーも活躍

神田:日本人といえば、私がバレエを習っている頃は、バレエ人口がまだまだ少なくて、多くの人は遠い世界の話だと思っていたと思います。でも、いまは、多くの日本人がコンクールに入賞し、世界中で活躍するようになりました。ペッシュさんは、日本人ダンサーについてはどうご覧になりますか。

ペッシュ:日本人の活躍は本当にすばらしい。オペラ座のオニール八菜さんとは一緒に仕事もしているので、自信を持ってすばらしいダンサーだと言えます。彼女は5年前にオペラ座にやって来たんですが、才能はすぐにわかりました。最初は上半身の使い方など、「オペラ座というアイデンティティー」を身につけるのに苦労していましたが、いまはそれを完全に自分のものにしています。

神田:「エトワール・ガラ」はペッシュさんにとってどんな存在なんですか。

ペッシュ:子どものような存在です。このプロジェクトを始めることによって、ダンサーとしての自分と距離を置き、客観的に見ることができるようになりました。また、自分の中に隠れていた能力、例えばディレクションする能力や他のダンサーたちをまとめる力といったものに気づくこともできました。

 僕は05年、最初の公演後の9月にオペラ座のエトワールになったんですが、公演をオーガナイズした経験が自分をエトワールにしてくれたんだと思っています。

●バレエが生んだドレス

神田:私のバレエ経験は、ドレス作りにも生かされています。04年1月の「パリ・オートクチュール・コレクション」に出品した作品では、1人の女の子がどんどん成長していき、最後にはウェディングドレスを着る、という過程を表現しました。「白鳥の湖」のオデットや「ドン・キホーテ」1幕のキトリ、「ラ・シルフィード」などにインスパイアされました。

ペッシュ:それはすばらしい。

神田:4歳から17歳まではバレエに夢中。コンクール前は毎日レッスンしてましたし、夏休みや春休みを利用してパリにバレエの短期留学もしました。「コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)」には入学を許可していただきましたが、結局、14歳からやっていたモデル業を選び、その後、芸能界に入りました。

 ペッシュさんは今年2月に24年間在籍されたオペラ座を引退されましたが、今後のご予定は決まっているんですか。

ペッシュ:バレエのない生活は、僕には考えられません。当面の予定としては、今回の東京公演にも出演するエレオノラ・アバニャートさんが芸術監督をしているローマ歌劇場バレエで1年間、アシスタントのような仕事をすることになっています。個人のプロジェクトも進行しています。

 将来は、一つのカンパニーのディレクターになりたい。公演を組織したり、ダンサーや振付家を選んだり、面白いプロジェクトを進めたり。そういった仕事が最終的な目標です。もちろん、日本でもたくさんプロジェクトを進めたいと思っています。

神田:楽しみです。こういうすばらしい公演が日本で見られるようになって、本当にうれしい。私は結局バレエをやめてしまいましたが、芸能人になったことで、「うのちゃんみたいに娘にバレエを習わせたい」と、バレエ人口が増えました。私のおかげなの(笑)。

ペッシュ:ぜひ一緒に、日本でバレエをもっと広めていきましょう!

(構成/フリーランス記者・坂口さゆり)

AERA  2016年8月1日号