OB会の幹部を務める元プロ野球選手はこう話した。

「教団を説得し、教団から美智代夫人を説得してもらうしか再開への道はないでしょう」

●募集停止、報道で知る

 60年の歴史に終止符を打つ大きなきっかけとなったのは、度重なる暴力事件などの不祥事である。2000年代に入って幾度も日本高等学校野球連盟から対外試合禁止処分を受け、その度に監督を交代してきた。

 しかし現役の部員たちに責任はない。学園は62期生やその保護者らに、何の相談も説明もなくすべてを決定し、保護者は新入部員の募集停止も報道で知ることとなった。前出の保護者は言う。

「野球部の将来? 子どもたちの試合が終わった今、そんなん、もうどうでもいいですわ。勝手にしてくれ、という心情です」

 12人の部員のうちひとりは記録員で、試合に出場できなかった。さらに、東大阪大柏原戦の前日には2人のけが人が出て、彼らはわずか9人──試合中にアクシデントが起これば没収試合となりかねない状況で最後の戦いに臨んだ。敗れはしたものの、一時は3点差をひっくり返す意地を見せた。

 試合後、誰よりも泣いていたのは、前日にけがを負った二塁手の河野友哉だった。

「最後にけがして、ほんまゴメンな。ゴメンな」

 仲間の一人ひとりに、そんな言葉をかけていた。

 また、12人を束ね、「PLのユニホームを汚すことはできません」と言い続けてきた主将の梅田翔大は、報道陣に囲まれて、ラストゲームをこう振り返った。

「一生悔いが残る試合です。でも、一生胸が張れる試合です。今後は……帰れる場所をつくっていただきたいです」

 この声にも、学園の理事会と教団は耳を傾けないのだろうか。(敬称略)

(ノンフィクションライター・柳川悠二)

AERA 2016年8月1日号