7月15日、全国高校野球選手権大阪大会の初戦で敗れ、事実上の廃部となった名門PL学園野球部。「PL」の人文字を見ることはもうできないのか。
わずか12人で臨んだ夏の大阪大会、初戦の東大阪大柏原戦に6対7で敗れ、PL学園に部員はひとりもいなくなった。学校の発表は休部──しかしそれは事実上の廃部である。
春夏あわせて7度の全国制覇を誇る名門の最後の部員という宿命を背負ってきた62期生は、入学した時から野球経験のある監督が不在で、2014年10月に決定した「15年度からの新入部員募集停止」によって、後輩もできなかった不遇の球児である。昨秋の大阪大会でも初戦敗退しており、PL史上、「最弱の世代」と言われた。
●2年続けて後輩入らず
廃部問題が大きく取りざたされるようになると、彼らの試合には多くの報道陣がかけつけた。12人は置かれた環境に恨み言を言わず、ひたすら公式戦の初勝利と、最後の夏に校歌を歌うことだけを目指した。
東大阪大柏原戦後のことだ。これまで学園や母体のパーフェクトリバティー教団を気にして、口を閉ざしてきた保護者のひとりが、涙を流しながら怒りの声をあげた。
「子どもたちにどれほどつらい思いをさせたのか。2年続けて後輩が入ってこなくて、彼らはボール磨きから、練習の準備、スパイクやグラブの手入れまで、すべて12人で、それを2年半やり続けたんです。そんな野球部、他にありますか?」
PL学園のOBで、2代続いた校長監督のあとを継いだ川上祐一監督らは、報道陣に対し、野球部の未来を決定するのは学園の理事会だと説明してきた。
しかし、理事会以上に、発言力を持つのは、母体の教団であり、さらには病床にある3代教主(PLでは「おしえおや」と読む)御木貴日止氏に代わって教会の統廃合などを進めてきた美智代夫人であるとされている。学園に対し、OB会が嘆願書を提出したり、保護者が対面を求めてきたが、野球部の存続の願いはかなわなかった。