評価の対象はパフォーマンスに留まらない(※イメージ)
評価の対象はパフォーマンスに留まらない(※イメージ)

 全くスタイルの違う日本のプロレスとアメリカのプロレス。しかし己のスタイルを貫きアメリカデビュー、満場の喝采を受けている男がいる。プロレス界の“ジャパニーズ・インヴェイジョン”は続くのか。

 今年4月1日、ひとりのプロレスラーがアメリカ・ダラスで試合に臨んだ。

 中邑真輔、36歳。青山学院大学レスリング部から、2002年春に新日本プロレスに入団。同年8月のデビュー直後には総合格闘技の分野にも進出。ここ数年は棚橋弘至やオカダ・カズチカらと激しいトップ争いを繰り広げることで、一時は人気が落ち込んでいた新日本の復権に大きく貢献した男である。

 その試合、単なる海外遠征として行われたものではない。中邑は今年1月に新日本を退団。新たに米国マット界の最高峰、WWEと契約を交わしていた。

●独特の雄叫びも健在

 このような形で日本のレスラーが太平洋を渡ることは、決して珍しい話ではない。最近では元プロレスリング・ノアのKENTAが、14年7月にWWE入りを果たしている。

「ただ、KENTAにしてもリングネームを『ヒデオ・イタミ』に変更させられた。中邑が『シンスケ・ナカムラ』のまま闘っているのは異例のことです。過去に全米で人気を博したザ・グレート・カブキにしても、武藤敬司の別人格であるザ・グレート・ムタにしても、アメリカ人はステレオタイプのレスラー像を日本人に求めていましたから」

 そう語るのは海外のマット事情に精通するプロレスライターの斎藤文彦さん。ともに「毒霧」を口から吐くことで知られるカブキとムタ。両者は東洋の武術や神秘性、謎めいた雰囲気を印象づけたが、ヒデオ・イタミも拳法着をモチーフとしたコスチュームを身にまとうことで、その路線を踏襲している。

 しかし、ナカムラは腰に刀を差すこともなく、新日本でトップの座をつかんだ中邑のままWWEに迎え入れられた。日本のファンにはおなじみの腰をクネクネさせる脱力系アクションや、「イヤァオ!」という独特の雄叫びも健在だ。

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