舞台後方にはスクリーンが用意され、生前のギンズバーグの写真が大きく映し出された。スミスとグラスはステージに登場するとまずギンズバーグに一礼した。そして、現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪れたオバマ大統領に触れ、スミスの詩「未来へのノート」(柴田元幸訳)からコンサートを始めた。彼女の言葉にあわせて日本語訳が映し出されてゆく。中盤には、彼女の娘ジェシー・スミス(チベットの音楽家、テンジン・チョーギャルと彼女とのパフォーマンスもみずみずしいものだった)、長年の音楽パートナー、レニー・ケイを迎えて「ダンシング・ベアフット」など3曲を歌い、グラスも独奏を披露。その後、朗読に戻り、最後は1955年、当時29歳のギンズバーグが時代に対して清濁のすべてを吐き出すように記した「『吠える』への脚注」(村上春樹訳)が圧倒的に鳴り響いて本編は終わった。そこで鳴っていたのがピアノと言葉だけだったことがしばし信じられなかった。

●おおらかな母性すら

 アンコールには全員が登場し、スミスの代表曲「ピープル・ハヴ・ザ・パワー」が歌われた。若き日の彼女が放っていた性急さや鋭さを通過したうえでのおおらかな母性と、人間の力を信じて行動し続ける意欲を感じさせる素晴らしい曲だ。79歳のグラスまでもが、声をあげてコーラスをつけていたのがとても印象深かった。

 この日、舞台に映し出されたギンズバーグの写真や言葉は、コンサートを演出するための単なるヴィジョン(映像)ではなかった。あれは、未来の世界を照らすヴィジョン(理想)なのだ。本当に稀有な夜だった。(ライター・松永良平)

AERA  2016年6月27日号