●「自立の前に幸せを」

 和歌山の支援の現場では、今日も葛藤が続いている。

「初めのころは、共同生活している人たちを経済的に自立させればいいと思っていた。でも、自立してもまた戻ってしまう人がこれまで何人もいたんです」

 そう語る前出の藤薮さんは、17年前、三段壁で鉄筋工の男性に出会った。男性は結婚して娘に恵まれたが、その娘が2歳のときに妻をがんで亡くした。前後してバブルがはじけ、仕事が激減。家賃や光熱費も払えなくなり、娘を施設に預けた。

「こんなお父さん、お荷物だな」

 娘に合わせる顔がないと、2カ月間放浪して三段壁にたどり着いた。飲めない酒をあおって断崖に向かったが、直前で我に返った。

 男性は、藤薮さんと見つけた新しい仕事を10日でやめてしまった。2週間後、カネに困ってNPOの電話を鳴らし、再び共同生活を始めたが、今度は「お世話になるのがつらい」と言い出し、路上生活を選んだ。それでも藤薮さんとの関係は続いた。

「『この人を助けてやってくれ』と、路上で見かけた困っている人たちを紹介してくるんです。彼は『俺なりの生き方をしたい』と言っていた。経済的な自立を促すことは、生き方の押しつけだった」(藤薮さん)

 弁当の仕出しや農作業などNPOの事業を手伝ったり、自立をめざして地元の企業で働いたりしながら、現在、約20人が藤薮さんのもとに身を寄せている。藤薮さんはいま、こう考える。

「ここにいれば誰もが役割を持ち、誰かに必要とされる。みんなが誰かと関わりながら生き、死んだらみんなが悲しむ。社会に戻すことは大前提。でも、ここでそんなふうに生きられるなら、僕はみんな一生ここにいてもいいと思っている。理想論かもしれないけれど、自立の前に、幸せに生きることを考えたい」

(編集部・宮下直之)

AERA 2016年6月20日号